休息日和   



休日出勤なんてしたくない。本当にしたくない。でも、私は仕事ができない。 だから今日は休日の午前中を返上して仕事をし、会社から自宅へ戻ってきた。 まだ社会人になってから2年目だ。安くてボロボロだけれどアパートの一室を借りて今年から一人暮らしを始めるようになった。 実家からはさほど離れていないからあまり意味のないように感じるけれど、 大学までずっと実家暮らしだった私にとって、一人暮らしというのは憧れだった。

カン、カン、カン、と階段を一段ずつ登っていく。お昼は何を食べよう…と思い自分の部屋のある階まで上ると男の人が見えた。 ここのアパートの住人ではないらしくインターホンを鳴らしている。鳴らしたかと思ったらコンコンコンとドアを叩いた。 その部屋は私の借りている部屋の隣で、そういえば…と記憶を遡りながらその人物へと近づいていった。

「あのー…その部屋の方なら、一週間くらい前に引っ越されましたよ?」

よほど集中していたのか、やっと私の存在に気付きこちらを見た。その顔を見た時、私もその人もかたまってしまった。 この人は見たことがある。見たことがあるというより話したこともある。

「田中…くんだ!」
「おおー?か?」

少し驚きながらも笑みを零しながら久しぶりだなぁと話してくる人に懐かしさを覚えた。 彼、田中トムとは中学と高校が一緒で何度か同じクラスになった事があり、割と仲が良かった。 いや、正確に言うと彼は色んな人と分け隔てなく仲が良かった。

サラサラで綺麗な髪に眼鏡の風貌で、成績は学年でいつも5番に入っていた。 それだけを聞くとクラスに一人はいるひょろっとしている秀才メガネくんというイメージだが、実際は違っていた。 運動神経も良かったしいつも日に焼けていて、笑顔が多い人だった。気さくに誰とでも話すので、人付き合いもうまかった。 制服はきっちり着るタイプではなく、だらっとした雰囲気はどちらかというと不良よりだった。 秀才なのにとらえどころがなかった彼だが、苦手だと思う人はあまりいなかったと思う。

そして今、偶然再会した時には誰だかわからなかった。 ドレッドヘアーに派手な柄シャツにスーツ。田中くんにはとても似合っていて様にもなっているのだが、どう見てもチンピラといった格好だ。

「誰だかわかんなかったよ。何してるの?」
「何ってまぁ、仕事だな。」
「その髪型でできる仕事ってどんな仕事?」
失礼な物の言い方をしてしまったな、と少し後悔するも全く顔色を変えない所が彼らしい。

「んーお金を払ってない人からお金を集金する仕事。」
「しょ、消費者金融!?」
「違うって、割と普通の会社だって。」

何度も言うけれど彼は頭が良くて要領が良かった。だからなんとなくもったいないような気がした。 私なんて何も取り柄がなかったし、要領も悪かったのに今はどういうわけか一流企業と言われている証券会社で働いている。 運で入った会社に忙殺されて、1日1日を生きる事で精一杯だ。 今週だって上司に怒られっぱなしで、2年目だというのに全く成長していなくて自己嫌悪に陥っていた。 自分がこの仕事に就いていていいのだろうかと。 私みたいな不器用な人よりもきっと彼みたいに器用な人こそ相応しい仕事なのではないだろうか。

「田中くんさ、ドレッドにするのもったいないと思う。」
もったいないのは髪型だけじゃない。
「俺だって手入れとかめんどいから本当は戻してぇんだけどな…仕事にゃこの方が都合がいいんだよ。」
仕事の為なのか…と思うとそれ以上何も言えなくなった。
「つうか、さっきの引っ越したっつー話、マジ?」
「うん、引っ越し屋さんが先週来てた。」
「っかぁーー…。」

頭に手を当てて首を振る姿に、この部屋の人に集金しに来ていた事を理解した。 夜逃げでもなんでもなく、堂々と引っ越していた辺りそこまで危ない組織に属しているわけではなさそうだ。

「あ、、お前飯食った?」
「ううん、まだ。」
「マックおごっちゃるから一緒に行くべ。今日休みなんだろ?」
「え、仕事は?」
「仕事は反故になっちまったし、俺もまだ食ってねぇからよー。」

あと、と何か付け足すように私の顔をのぞき込みながら彼は言葉を続ける。

、相当疲れてんべ?ちょっと肩の力抜いたほうがいいぞー。」

自分の核心を突かれた事に驚いた。まだ再会して数分しか経っていないというのに。 なんでこの人は言って欲しい言葉がわかったのだろう。 ぎゅうっと胸が締め付けられてなんだか泣きそうになってしまった。 この言葉だけでこんな風になってしまうなんて、自分で思っているより相当弱っているのかもしれない。 気付くと田中くんは階段の方へ向かって歩いていた。 ああ、まただ。また気を遣わせてしまった。 私が泣きそうになっている事に気付いたに違いない。優しさに喉が詰まってしまう。 元々、こういう人なのだ。私だけに向けられるような優しさではない事もわかる。周りを見る事ができる。 それが自分にないもので学生時代から羨ましかったし、友達だけど尊敬に値するものだと思っていた。 大人になった今でもその気持ちは変わっていない。 私もこういう風になれたらいいのに。生きていくことにほんの少しだけゆとりができたらいいのに。 仕事だって、こんなに神経をすり減らしてしまっては何のために生きているかわからない。 少し気持ちが収まり、どうしても聞きたい事を尋ねようと思った。

「田中くんは今の仕事好き?」
「そーだなぁー、わりかし俺には合ってんじゃねーかな。」

まぁ大変っちゃ大変だけどよ。と言って苦笑いをした。カン、カン、カンと階段を降り始める。 さきほどもったいないとは思ったけれど、こうして本人が満足している事が何よりも大事ことなのかもしれない。

「つーかもうちょっとセキュリティとかしっかりした所じゃなくていいんか?」
「うーん、そんなにお金もないからね…。」
「女の一人暮らしは危ねぇんだから気をつけろよー。」

またぎゅうっと胸が締め付けられる感覚がした。 学生の時と姿は変わったけれど、きっと田中くんの根本的な部分は変わっていない。私の受け取り方が変わったのだ。 田中くんは皆に優しい。そういえば彼女はいるのだろうか。その彼女にはもっと優しかったりするのだろうか。 そこまで考えて少し嫌な気持ちになった。あ、この感覚は。と久しぶりの感情に自分自身に驚いてしまったけれど、頭は冷静だった。

「田中くん…今日はおごってもらうけど、次は私がおごるから。」
「んー?律義だなー。そんな気にしなくてもいいべ。」

ははっと彼は無邪気に笑っていた。遠まわしな誘いに全く気付いていない。 それでもまぁいいかと憎めないような気持ちになっていた。 どうしようもないくらいの安心感と、次第に形になっていく感情に戸惑いながらも、私はそれを受け止め始めていた。