06.彼女の仕事 翌日、は買ったばかりのスーツに身を包み、事務所に続く階段を登っていた。そして登っている途中で見覚えのある二人が目に入った。壁に寄り掛かっていた二人はの足音に気が付き、こちら側を向いた。 「おはようございます。」 「うす。」 「急な話で悪かったなー。ちゃん…でいいんだよな?まぁ大丈夫だべ。」 「…はい、しゃ、社長にお話しして下さってありがとうございました。」 「なんか緊張してねぇか?」 「ちょっと…はい。」 面接は就職活動でやったきりだったので数年ぶりで、は緊張していた。そして促されるままに社長室に通され5分ほど社長と話した後に直ぐ、「採用!」と言われは拍子抜けしたのだった。人の良い笑顔を向けてくれる社長で、何かと世話を焼く事が好きな人なのだとは思った。面接というよりかは世間話をした程度だったが、唯一話した仕事の話では、できれば今日からでも仕事に入って欲しいという事だった。社長室から出ると静雄とトムが待っていては驚いたが、この二人もすぐに面接が終わる事を予想していたのかもしれないと思い直した。 「…雇って下さるそうです!」 「おーよかったなー。っていうか俺らのほうが助かるって話か。」 「そうっすね。よかったな。」 「ありがとうございます…本当に。これからよろしくお願いします。」 二人が笑顔で迎えてくれた事で、はやっと緊張が和らぎ同じように笑顔になった。彼らは取り立ての方に戻ると言って外に行き、は事務の先輩に仕事を教えてもらうべくパソコンの並んだ事務室に通された。 の席を案内した女性はと同じ様なスーツ姿の、30代と思しき女性だった。ふくよかで穏やかな雰囲気があり、常に笑っているような印象の人だった。 「さんには顧客管理とか、その回収金額とかをまとめて指示出しして欲しいの。あ、私、苗野って言います。」 「苗野さん…よろしくお願いします。」 苗野はよろしくね、と言っての隣の椅子に座った。そして携帯電話をの前に置いた。 「これは顧客管理する人だけ支給される携帯電話。さん用ね。指示出しとかでかなり負担になっちゃうから前にいた人が給料とかでモメちゃって…」 「その辺の話はいーんじゃないの?」 話を遮るように逆隣から声がしたのでは振り返った。苗野とは真逆のタイプのいかにもギャルらしい茶髪で色黒の若い女性だった。服装まで露出が高く、ショートパンツから覗く足にはタトゥーが入っている。 「それ、職場以外でも掛ってくるし普通に使えるやつだからー。ま、長電話するとバレるし怒られるとは思うけど。」 にとっては願ってもないプレゼントだった。携帯電話がないのはこの上なく不便で、自分では絶対に買えないものだったからだ。連絡手段ができた事は素直に嬉しかった。 「辞めちゃう人の経理の引き継ぎは終わってて、私が経理担当になったんだー。私がしてた仕事のほうが新人さん向きだからさー。ちょっと急ぎの仕事あるから引き継ぎは苗野さんなんだけどー。」 「あ、えーと…。」 「黒岩だよ、よろしくねー。」 「です、よろしくお願いします。」 話し方が最近の子らしいな、とは思ったがきちんと説明してくれているのでしっかりしているのだろう。の言葉に黒岩もにこりと笑ってパソコンに向き直り仕事に戻っていった。 「さん、パソコンとか使ってたりした?」 「いえ、ずっと接客業だったので…たまに書く報告書とかはパソコンでしたけど。」 苗野に聞かれてから今までしてきた仕事を思い起こした。 「ちょっと人手が足りてないから説明も早くなっちゃうんだけど、ついてきてね?」 今までやってきた事とは全く別次元のものだとは気合を入れて説明を聞き始めた。昼食時に様子を見にやってきた静雄とトムに気付かない程集中していた。やる事自体はとてもシンプルなので、説明も2時間ほどで終わったのだがその頃には全員昼食も取っており休憩も終わっていた。何か上手くまとめられればもっと効率良くできるのでは…と書類を片手に真剣に見ていると、隣の席の黒岩がに話しかけた。 「…さーん、初日だからほどほどにしとかないとだーめだって。お昼食べてなくない?」 「昼…あっ食べてないですね。」 「あと田中さんと平和島さんも様子見に来てたみたいだけど気付いてたー?」 「えっ…!本当ですか!?」 「やっぱ気付いてなかったんだ…二人ともまた外に出ちゃってたと思うけど。まぁいいや。休憩室案内するねー。」 黒岩は立ち上がって事務室の入り口とは別のドアを指差した。彼女に着いて行くと「休憩室」と書かれたドアがあり、その隣には「喫煙室」と書かれたドアがあった。てっきりどこでも吸っていいものだと認識していたから、分煙されていることを意外に思った。 「お昼持ってきてる時はここ使っていいし、席足りないときは時間ずらして取ってもいいからー。」 「あ、なるほど…。ありがとうございます。」 黒岩はお疲れさま、と言って席へ戻っていった。は昼食を持ってきていなかったが、とりあえず中がどうなっているのか見たかったので入ってみた。大きなテーブルとイスが10脚ほどあるシンプルな部屋だったのだが、それよりもテーブルの上に置いてあるものが気になった。 「マクドナルト…?」 テイクアウトの紙袋があり、良い匂いがした。誰かここで休憩を取るのかと思い近づくとメモが置いてあった。 「ちゃん これからよろしくな!トム」 「ちゃんと昼くえよ。 静雄」 ―-これって。 じわりと目頭が熱くなった。有美は二人が来た事に全く気付かない程、周りが見えていなかったと申し訳なく思い、二人の気遣いに心から感謝した。 ―-せっかくこんなによくしてくれてるんだし、ここで頑張っていこう。
翌朝。静雄とトムが出勤すると打ち合わせが始まっていた。を含め事務を行っている者の出勤時間は早いので、先に他の取り立て組に対して指示を出しているを待つ形になった。周りにいる男達は見た目が怖いが、に対してはすぐに辞められては困ると思っているようで、なるべく恐怖心を与えない様に気さくに話している者が多かった。 の方は特に変わった様子もなく打ち合わせをし、最後には深々と頭を下げていた。そして話が終わるとは静雄とトムの所へやってきた。 「あっ…昨日はお昼ありがとうございました!何も言わずに先に帰ってしまって申し訳なかったです。」 「いやいや気にしなくていいべ。」 「ちゃんと昨日休んだか?」 「はい。ばっちりですよ。」 そう言って、は数枚の書類を出した。 「すみません、初心者なものですから指示出しに不手際があるかもしれないです。その時は仰ってください。」 の纏う空気が変わり、トムと静雄は話を聞く態勢に入った。普段の柔らかい雰囲気とは違い、身の引き締まる様な感覚だった。 「こちらが、二人が回られる場所と、債務者のリストと金額と、あとは家族構成とか家にいる時間帯のリストですけど…こうやって何枚にもわけられていると少し手間がかかりませんか?」 「うーん、まぁ言われてみるとそうだな。でも金額もしょっちゅう変わるし、回る場所も毎日変わるから仕方ねぇっつーか。」 「そうなんですよね。変わるから毎日打ち出してるわけですよね、朝に。周りながら次に行く場所を考えているとお聞きしました。でももっと効率良く回れますよ。」 トムの言葉に同意してから、は一枚の地図のようなものを差し出した。地図の中に情報が記されているもので、細かな金額や家族構成などは地図の横にリスト化されており、この一枚を見れば全てがわかるようになっている。 「トムさんも静雄さんも池袋の街は歩きなれていてほとんどわかりますよね?」 「そうだな。まぁトムさんのほうが詳しいけどよ。」 「だったら地図はそこまで細かくなくてもいいかなと思いまして、最短距離と最短時間で回れるルートを債務者の情報と共に見やすいようにしたらどうかなと。」 「だってこれ朝打ち出したんじゃねぇのか?が出勤したのって。」 「8時半です。」 日によって変わる金額は朝になるとリセットされているので、の朝の仕事は出勤してから取り立て組の出勤時間までに情報をまとめる事だった。今までの担当者である黒岩はリストを地域ごとに作って各組に打ち出していたわけだが、はそれを1枚にまとめ上げる事を1時間半で何組分も用意していた。その地図の中にもラインが引いてあり、債務者が家にいる時間が午前と午後とでわかりやすくなっていたりした。 トムも静雄もその仕事ぶりに驚嘆していた。昨日入ってきたばかりの人間が仕事を覚え、改善を図っていたからだ。 「すげえ。」 「ちゃん…前どんな仕事してた?」 「洋服売ってました。ショップ店員です。」 「ますますわかんねぇ…。」 「ま、とりあえずこれ持っていけばいいって事だべ?」 「はい。あ、静雄さんもこれ持って行って下さい。」 いつもリストを渡されていたのはトムだけだったので、静雄は差し出されたリストを見て一瞬動きを止めた。用心棒担当といってもいい静雄には渡されていないものだったし、打ち合わせもトムがほとんどしていた。静雄はトムと対等に扱われた事が素直に嬉しかった。そしていつの間にかはいつも通りの雰囲気に戻っていた。 「仕事すると変わるタイプなんかな…。」 「そうっすね。」 「怪我のないようにして下さい。あと不備があったりしたらすぐに言って下さいね!よろしくお願いします。」 そう言って頭を深々と下げ、彼らを見送るのだった。 |