05.希望混じりの言葉 その日の夜、はなかなか眠る事ができなかった。家族や友達や職場の後輩たちともう二度と会えないのかもしれないという恐怖。そして元の世界から自分の存在だけが消え、失踪人として周りに心配を掛けているのではないかと思うと、気が気ではなかった。家族と最後に交わした言葉は何だったのだろう。小説自体は好きだったけれど、自分と繋がる物を全部無くしてまでこの世界に来たいだなんて思っていなかった。どうしてこんな事になってしまったのだろう。心も身体も疲れ果てているのにも関わらず、一向に眠気はやってこない。はそれまで必死に涙を堪えていたが、布団の中で声を殺して泣いた。 朝方なんとか眠りについたは、9時頃に目が覚めた。新羅もセルティも仕事は夕方からあると言うので、の身辺調査を行うことになった。 「私の勤めていた会社とか…あと卒業した学校とかを調べたいんですが。」 『じゃあとりあえずネットで検索してみよう。それが一番早い。』 「Rain Dogs」というブランドを持つ会社もさることながら、が卒業したと思われる学校も全て存在していなかった。そして新羅の家の電話を使っての携帯に登録してあった番号に掛けてみたが、結局昨晩と同じ結果だった。携帯の機種すらも存在しないもので、充電器もなく、電源を切っていいものかどうか迷ったが、いざという時の為にと結局切っておくということになった。 「この携帯の充電器はどうにかなりそうな気がするんだけど。」 『機械に強い人に充電器を作ってもらうとか、そういう事か?』 「そうだね、僕もそんなに詳しくはないけど、僕たちが使っているのとよく似ているから…まぁだからって中身が一緒だとは限らないんだけどね。ちょっとあたってみるよ。」 「ありがとうございます。充電できても繋がらないんじゃ役に立たないと思いますし…時間のある時で構いませんので。」 『さん、実家の場所には行ってみるか…?』 「……いえ。」 は家のあった場所に一番行きたいと思っていた。それと同じ位に、家に行くことが怖くて仕方なかった。この世界は所属していた会社や自分が卒業した学校も、もともとなかった様に作られている。それと同じように自分の家の場所に行き、家や家族がいなくなっている事を目の当たりにしたら一番ショックが大きく、立ち直れないと自分でもわかっていたからだった。 「自分の身元がどうなっているかを確かめたいんですが…。」 「それなら臨也にでも頼んでみる?きっと一番早いし確実だとは思うけど。」 「お、折原さんはいいです。自分で調べます。」 首を振りながら即答したに新羅とセルティは顔を見合わせた。 『臨也の事も知ってるのか?』 「はい…。というか昨日会いました。」 「昨日って、さんがこっちにきてからすぐってこと?」 「そうです。でも…あまり関わりたくなかったので…。」 『…それは私も同感だが、そんなに即答するなんて、さんの知っている小説には一体臨也はどんな風に出てくるんだろうな…。』
たちが身の回りの事を調べている頃、静雄は職場である事務所に出勤していた。先にトムが来ていて、事務の担当と何か打ち合わせをしている。しばらく待っているとそれも終わり、トムは手を上げて静雄の方へやってきた。 「はよっす。昨日はありがとな。」 「うっす。事務所の方はありがとうございました。」 軽く礼を言ってから静雄はトムがいつもよりも浮かない顔でいる事に気付いた。 「どうしたんすか?」 「はー…事務の子が仕事辞めるっつってるらしい。」 「え?またっすか?」 「んーなんかデキ婚らしくって体調が辛いみたいでよー、専業主婦になるんだと…なんか事務作業できる人がいたら声掛けてくれって言われてよ。取り立ての方も人足りてねぇのに経理も回んなくなったらこの会社どーなるのっつー話。」 人が足りないと聞いて、静雄はふと昨日の事を思い出した。は仕事と家を探すと言っていた。家の方は先立つものがなければ借りられないものなので、当面は仕事を探す事になるだろう。しかし、静雄の会社は取り扱っているものは白にしろ、グレーゾーンにほど近い。仕事を紹介した方が良いかとも思うが、いささか腰が引けた。 「昨日送ってった人なんすけど…なんか仕事探してるみたいで。」 「えっ、マジで?ちょっ、それは早めに社長に言うべ。どうせ求人出しても来ねーんだし、こっちから見つけた方が早いだろ。」 「あー…っと、…身分証明できないかもしんないっす。」 ここまで話していいのかどうか迷ったが、トムを信頼しているため静雄は正直に伝えた。明るい表情だったトムも少し意外だという顔をして少し声の大きさを絞って問いかけた。 「…不法滞在者?」 「いや、そういうのとも違って…説明すんのが難しいんすけど。」 「静雄ん時って、保険証とか作ったのって結構経ってからじゃなかったか?」 「…あー…そっすね。」 「そん時も人が足りなくて即日採用みたいな感じだっただろ?だから大丈夫なんじゃね?明らかに様子のおかしい奴はだめだろうけど、あの子なら別に問題なさそうだろ?」 「はぁ…まぁそうっすね。じゃあ話しときます。」 静雄は昨日のの表情を思い出していた。震えながらも気丈に振る舞っていた彼女を。そして話を聞きながら、自分がもしああいう状況に陥ったらと考えた。幽やトム、セルティが周りから消えてしまったら。考え始めてすぐにあり得ないという結論に至り、それ以上は考えられなくなってしまったのだ。だが、考える事を拒否してしまう程、あり得ない事がには実際に起きている。それなのに彼女は生きる為に、必死に行動していたのだ。それまで会ったこともない人間に自分の事を話し、頭を下げる彼女を見てどうしてそんな風にいられるのかがわからなかった。そして、自分の事を信用できる人間だとも言い放った。そう言われた時には予想外の言葉に何と言っていいのかわからなかった。自分には到底できない事を彼女はやっていて、昨夜から何度も彼女の事を思い出していた。
夕方、新羅は仕事に出かけて行き、は台所で夕食の準備をしていた。隣ではセルティがの料理する姿をじっと見ている。 「セルティさん、そんなに見られると緊張するんですが…。」 『すっすまない。今日は色々まわったから疲れているだろうし、休んでいてもいいんだぞ?』 「大丈夫ですよー。これ位させてもらわないと。」 にこっと笑っただったが、セルティにはが内心落胆していることはわかっていた。結局、彼女自身の身元が証明される事はなかった。役所関係にもあたってみたが、かえってが正体不明の存在であることが浮き彫りになっただけだった。その後、がここに来たきっかけになった場所にももう一度行ってみた。何度か往復した所で何も起こらなかったので、特に収穫はなかった。そしての仕事を探したのだが、日雇いのアルバイトぐらいしか選択肢はなかった。これではこちらの世界で生活できないと、探そうとするを気分転換させようと、最低限の新しい服や生活必需品を買い揃えてマンションへ戻ってきたのだった。お金のないは終始申し訳なさそうにしており、なるべく安いものを、とスーツも一番安いセットを買ったのだ。帰ってきてからもは夕食の準備をし始めたので、気を紛らわせたいのだろうとセルティは思っていた。 「セルティさんもそろそろ仕事の時間ですね。」 『ああ。多分私は新羅よりは早く帰って来られると思うから。ご飯も先に食べててね。』 「ありがとうございます。」 すると玄関のインターホンが鳴った。はセルティに自分が出てもいいのかと表情で聞くと、セルティは首を縦に振った。 「よぉ。」 「あっお疲れ様です。セルティさん、静雄さんが傘返しにきてくれましたよ。風邪引きませんでしたか?」 「ああ、平気だった。セルティ、傘、さんきゅな。」 『どういたしまして。』 「こっちの方に周る用があったから寄ったんだけどよ…今、ちょっといいか?」 「えっ、私…ですか?」 トムは他の取り立ての方へ回っているらしいが、人手が足りない方が深刻だと判断し近くまで来たついでに静雄に話をさせにきたのだった。昨晩と同じように皆がソファに座ったが、今度はが話を聞く番だった。 「うちの会社すげぇ人が足りないんだよ。で、仕事探してるんだろ?がよければ明日にでも面接とかに来てくれると助かる。」 「えっ…い、行きます!いいんですか!?私、取り立てとかできるかな…。」 「いや、そっちじゃなくて、事務の方。…説明不足だったな。」 『取り立てする気だったのか…?』 静雄としては紹介していいものかと迷っていたが、今のはそういう事に重点を置いていないらしい。職種を聞くよりも先に即答してしまう辺り、自立するためならばどんな仕事でもやる気なのだろう。静雄は簡単な地図と住所が書かれたメモをに渡した。 「うし、じゃあ明日の11時にここに来てもらっていいか?なんなら迎えに来るけど。」 「いえいえ、そんな大丈夫です。お仕事もあると思いますし…ありがとうございます。あの…でも私、結局身分証明が…。」 「その辺もトムさんに話しといたけど大丈夫じゃねぇかって。」 「…?」 「それで仕事見つからねぇんだろ?まぁ、いつもバタバタしてる会社だからおいおいになるだろうって。まぁ、途中で必要になったら、お前から色々話さなきゃなんねぇかもだけど…。」 「それは…大丈夫です!あ、ありがとうございます!」 自分が一番心配していた事や気にしていた事を一気に払拭してくれた言葉だった。まだ仕事が決まったわけではないが、そうやって気を回してトムに話をしてくれた事も嬉しかった。住所が書かれたメモを見て、は自然と笑顔になった。 「まぁ実際採用するかどうかは社長が決めるから、んな感謝されると…。」 「あ、いえ、採用されるかどうかは別として、こうして気に掛けて下さった事が嬉しいです。」 今度は静雄に向かって満面の笑みを浮かべた。そっか。と静雄はふいっと目を逸らしたのをセルティが見ていたが本人たちは気付いていないらしい。セルティはふと時計の時刻を見てから我に帰り、すくっと立ち上がった。 『そろそろ出ないと!』 「俺も行くわ。」 『途中まで送っていくよ。』 「ああ、悪いな。」 「お二人とも気をつけて下さいね。」 部屋を後にした二人はエレベーターで階下へと向かって歩いていた。玄関からエプロン姿で見送るを見て、静雄は何か妙な気持ちになっていた。さきほど笑顔を向けられた時もとっさに目を逸らしてしまった。 『さんが喜んでて良かったよ。今日、結構ヘコんでたみたいだから。』 「そうなのか?」 『一緒に働けるといいな。』 一緒に働く。という言葉を聞いて今までなぜその発想が出てこなかったのかと不思議に思った。 『静雄?』 「あぁ、そうだな。まぁ断る理由もないからな。」 自分の希望の混じった言葉に、静雄はまだ気づいていなかった。 |