03.優しい案内人 「すみません。急いでいるので、ごめんなさい。」 「まぁまぁいいじゃん。」 後ずさりをして歩き出そうとした所で、背後にも男がおり腕を掴まれた。三人に周りを囲まれる形になり、は焦っていた。このままではいけないと勇気を振り絞って腕から逃れようと力を入れて抵抗した。 「っんだこのアマ…!」 「いいから連れてっちまおうぜ!」 「テメーら、なにやってんだぁ……?」 一際低く威圧感のある声がしたと思ったら、鈍い音と共に男が一人、宙を飛んでいった。人が飛ぶ様を初めて見て、唖然としてしまう。もしかしたらと思い振り返ると、金髪のバーテン姿の男がいた。周りの空気が歪んで見えるかと思うほど怒っているのがわかる。何度も目にした「関わってはいけない人」という文句を思い出す。予想していた以上のオーラに戸惑っていると、彼は男達に詰め寄りその内の一人の胸ぐらを掴んだ。 「嫌がってんのがわかんねぇのかよ、オイ。」 「…あぁ!?」 「ちょっ…おい、やめろっこいつ平和島…ぐあっ!」 「うらあぁぁあ!」 まさに一瞬の出来事だった。後の二人は次々とパンチを食らい、その場でのびて気を失ってしまった。肩で息をしている平和島静雄には後ろから恐る恐る話しかけた。 「あ、ありがとうございました。」 「うーん、ちょっとやりすぎじゃね?」 すると今までどこにいたのか、田中トムはの隣に立ち静雄に向かって苦笑いをした。ケガは?と聞くトムには無事である事を伝えた。彼もまた特徴的なのでドレッドヘアーと口調ではすぐにトムだと気付いた。すんません。と静雄が謝った時には先ほどの怒りは一体どこに行ったのかと思うほど別人のように大人しくなっていた。は先ほど恐怖心でいっぱいだったが、ばつの悪い表情をしている静雄を見て怒っている時との差がこんなにも違うのかと驚いた。 「あのよー、もしかしてさっき露西亜寿司で岸谷先生んち、聞いてた?」 「…あ、はい。」 「デニスが…あの店長な。俺らがいる事忘れててよ。俺ら、岸谷先生んち知ってるし、予定とかねーんだったら案内してくれって。」 「そうだったんですか…。」 「案内するどころか、早速店の近くで絡まれてるとは思わなかったけどなぁ。」 恐怖心を払拭しようとしてくれているのか、トムは明るい調子でに話しかけた。もっとも、2人を前にして緊張してしまっているという方が大きかったのだが。 「んじゃあ俺は事務所に金預けてくっから、静雄案内してやれよー。」 「…うす。」 「本当にすみません。ありがとうございます。」 そのまま直帰でいいから、お疲れ。と言って去っていくトムには頭を下げた。それから改めて静雄を見て緊張していた。想像以上に身長が高く、一体どこからその力が出てくるのかという程、細身の体型だった。バーテン服も実際に見るとこれは街中では目立つなとはまじまじと静雄を見てしまった。 「こっち。」 「は、はい。」 歩き始めた静雄を追うようにも隣を歩いた。すると静雄はじっとのほうを見てきた。暗くて灯りが少ないのでサングラスの奥の目がかろうじて見えるが、表情からは何を考えているのかわからない。 「なんでしょう…?」 「どっか悪ぃのか?」 「い、いえ。け、健康です。」 「そっか。」 彼は極度の短気だけれど根はすごく優しい人だったのだと思い出し、少し緊張が解けた。心なしか歩幅もゆっくりと合わせてくれている様な気がする。それから静雄は新羅に電話をし、これから人を連れていくとだけ要件を話した。 はセルティと新羅に自分の事を話そうと決心して向かってきたものの、信じてもらえるかどうか不安な気持ちになってきた。第一、知らない人に一方的に自分を知られているだなんて気味が悪いに決まっている。そう考え出すと暗い気持ちになり、表情も険しくなっていた。そんなを見て静雄は再び声を掛けた。 「やっぱ具合悪ぃんじゃねぇの?」 「いえ、本当に大丈夫なんです。ちょっと岸谷さんたちに相談があって…それを考えてたらこういう変な顔に…。」 「変な顔にってなんだよ。」 静雄はの言葉に少し笑った。初めて見た笑顔には驚いてしまった。今まで怖いと思っていたのがなぜなのか、わからなくなる様な笑い方だった。見ず知らずの自分を案内し、心配してくれる静雄に感謝した。こうして優しくしてくれる人もいる。小説の中でしか見られなかった彼らが、生身の人間である自分となんら変わりない人間だと思った。 ――話そう。信じてくれなくても。 そして、に残された選択肢はそれしかなかった。
「やぁ、久しぶりだね。…ってえぇ!?セルティー!静雄が女の人連れてきたよ!!」 「うるせぇ。」 「あいだっ!」 静雄は新羅にデコピンを一発喰らわせてから玄関に入っていった。は目の前でおでこを抑えてうずくまっている新羅と目が合ってからすぐに頭を下げた。 「初めまして…と申します。夜分遅くに申し訳ないんですが、岸谷新羅さんと、セルティさんにお話ししたいことがあって参りました。」 「僕とセルティに…?」 「はい。見ず知らずの人間がいきなり来るなんて不審だって自分でも思うんですけど、お願いします。」 真剣な表情で頭を下げるに面喰いながら、新羅はどうぞと言ってを奥へ通した。リビングに行くとセルティと静雄が会話をしていた。今日知り合ったばっかだ、と静雄が言っているのを聞き、は自分の事を説明してくれている事がわかった。 「はじめまして、セルティさん。」 『私のこと、知ってるのか?』 「なんかね、さんは僕とセルティに話があるみたいだよ。」 「あの、静雄さん。静雄さんもお時間あれば聞いて頂けませんか?」 は席を外そうとしていた静雄を呼びとめた。同じ小説に出てくるのに静雄にだけ話さないというのも不公平な気がしたし、ここに来るまでの間に考えていたことだった。の少し緊張した面持ちを見てから、全員がソファに座った。 「失礼ですが、新羅さん。今おいくつですか?」 「僕?僕は23歳だよ。」 「23…。」 は反芻してから記憶を呼び起こした。同学年の臨也が4月の時点で23歳と言っていた事と、コンビニで見た新聞の日付を合わせて考えると、帝人が池袋に引っ越してくるちょうど一カ月前にあたる。そうすると小説はまだ始まっていないということになる。これから大変な事が次々と池袋で起こるのかと思うと悪寒がしたが、話を始めるためにゆっくりと息を吸って、口を開いた。 「セルティさん、さっき自分の事を知ってるのかって私に聞きましたよね。」 『あぁ、名前はどこで知ったのかと思って。静雄が教えたのか?』 「いえ、違うんです。私は誰からもセルティさんの名前を聞いていない。…けど知っていました。あなたたちは私の知っている小説の中の登場人物で、私はその小説の中に迷い込んでしまった…他の世界から来た人間なんです。」 そう言いきってから、暫く沈黙があった。は上手く説明しようとしたが、わかりにくく嘘っぽい言い方になってしまったと思った。それから一番初めに新羅が口を開いた。 「僕たちが小説の中の登場人物なのかい…?」 「はい。私の知っている限りではかなりの人が出てきます。新羅さんが23歳とするとまだ始まる前にあたります。今も小説は続いていて、まだ完結はしていないんです。」 『ちょ、ちょっと待ってくれ。頭の中が整理できない。私も出てくるから名前を知っていたのか?その小説にはさんも出てくるのか?』 「出ていないです。私はただの読者なんです。だけど、こっちの方になぜか入り込んでしまった。…ついさっきです。9時くらいだったと思います。ちょっと転びそうになって前を向いたら池袋にいたんです。電話も誰とも繋がらなくなって、キャッシュカードとかも全部使えなくなって。家はずっと遠くにあるんで確認はできてないんですけど、多分…ない、と思います。」 そこまで一気に話してから急には自分の置かれている状況を恐ろしいものだと感じた。理解はしていたはずなのに、口にすると自分のいた世界と断絶されてしまったことが現実味を帯びてくる。 「自分の事を知っている人が誰もいなくて。…でも、小説に出てくる人たちのことなら私は断片的ではあるけれど知っているんです。ここにいる皆さんのことは、知っていました。だから…だからここに来ました。すみません、本当に迷惑だとは思ったんですけど…。」 の隣に座っていたセルティがの肩に手を置いた。 『大丈夫?』 「ありがとうございます。」 は自分でも知らない内に震えていたらしい。外は雨が降り出したのか、ポツポツと音がし始めている。 「本当にさんは小説を読んでたってこと、証明できる?」 『疑ってるのか?』 「いや、そうは見えないんだけど、念のためさんしか知らない事を教えてくれたら。」 『お前は…』 「わかりました。すみません、ちょっと新羅さんと二人で話せますか?」 リビングから出たセルティと静雄はしばらくの間、無言だった。二人ともの表情や口調ぶりで嘘は言っていないと思っていた。そして話に出てきたキャッシュカード云々も調べればすぐにわかる事でもある。その内セルティが先にPDAに文章を打ち込んだ。 『静雄…ずっと黙ってたけど、どう思ってるんだ?』 「わかんねぇけど…自分を知ってる人が誰もいないって…家族とか、友達とか。…俺には考えらんねぇ。」 静雄は腕を組んだままそれっきり黙ったままだった。セルティ自身もまた自分の記憶があやふやで不安な事が多いため状況は違えど、の心境が痛いほどわかった。何も頼るものがなかった時に、条件はあったものの住居を提供してくれた新羅と森厳には今でも感謝している。同じように身よりがないの事を自分と重ね合わせていた。 「もう入ってきていいよー。」 『それでどうだったんだ?』 「間違いなくさんは異世界人だね!!!」 『なんだその変わり様は!一体何を聞いた!?』 「まぁまぁいいじゃない。」 「すみません…それでお二人に折り入ってお願いがあるんです…その、おそらくなんですが職場と家もなくなってしまってお金も引き出せなくなってしまったので…ものすごく勝手な事を言っているのはわかってるんですけど、仕事と家が見つかるまで置いて頂きたいんです…お願いします。」 座っていたソファから床に座り直し頭を下げるに、セルティは慌てて起き上がらせた。 『そんなに頭下げないでいいから、ね?』 「ちゃんとお返しするので…本当に、申し訳ないんですけど。」 『新羅、いいだろ?』 「セルティがそう言うんだったら…って言わなくてもちゃんと快諾する予定だったんだけどなぁ。僕ってそんなに信用されてない?」 「あ…ありがとうございます…!」 は再び頭を下げた。自分の置かれている状況には曖昧な点が多いが、こちらの世界に来たきっかけがはっきりしないのでここで生活をしていかなくてはいけないと思っていた。転びそうになったあの場所にももう一度行かなくてはならないが、戻れる保証はどこにもないのだ。何もなくなってしまったけれど、新しい繋がりを作っていかなくてはいけないとは自分を奮い立たせた。 一通り話が終わり静雄が帰ることになったので、全員が玄関に向かっていた。前を歩く静雄には声を掛けた。 「静雄さんも、お話聞いて下さってありがとうございました。」 「あ…えーと。っつったっけ。」 「はい。」 「…なんで俺にも話したんだ?」 静雄は新羅の家に置いて欲しいという話だったのなら、いなくてもよかったのではと思い聞いてみた。 「自分だけ一方的に静雄さんの事を知ってるっていうのがフェアじゃないというか…でも全員にあなたを知ってます、なんて言わない方がいいとも思いました。危ない人もいますから…だから、信用できる人にだけに聞いて欲しかったんです。」 「…そっか。」 「引きとめてしまって申し訳なかったです。」 「いや…。」 何か言いかけようとしたのか、それともそこで言葉が切れたのかはわからなかったが、の後ろから新羅が話し掛けてきた。 「あ、雨降ってるんだったね。静雄、傘持っていきなよ。」 「あぁ、明日返しに来る。」 『いつでも構わないよ。』 「静雄さん、風邪引かないようにして下さいね。」 そして手を上げて静雄は出ていった。ガチャリとドアが閉まってから新羅はに話し掛けた。 「色々調べるのは明日にして、とりあえず休んでから今後の事は考えようか。」 「はい。…あの、こんな事を言うのもなんなんですけど…セルティさん、ヘルメット取っても大丈夫ですよ。取ってる方がセルティさんは自然なんですよね。」 『あ、ああ…。』 そう言われてセルティは本当にが自分たちの事を知っているのだ、と改めて確認した。そしてヘルメットを取ったセルティを見て、は今日一番の衝撃を受けた。わかってはいたものの、実際首から上がないセルティを見ると不思議でしょうがなかった。首から吹き出している影もこの世の何とたとえれば良いのかわからない。だが、恐ろしいとは全く思わなかった。 『驚いたか?』 「はい…知ってはいましたが。でも、多分私もセルティさんたちを驚かせちゃってるのでおあいこですね。」 表情に疲れを滲ませながらも優しく笑ったを見て、今度はセルティが驚いていた。自分に頼れる人がいない時にこんな風にいられただろうかと。元々首から上のないセルティに笑顔が作れるはずもないのだが、首から上があるならば笑えていただろうかと。自分以外の事に目は向けられていただろうか。 「静雄さん大丈夫かな、引きとめちゃって悪い事しちゃったな…。」 は窓の方へ行き、どれ位雨が降っているのかを見て申し訳なさそうに呟いた。 『ん?もしかして。』 「どうしたのセルティ。」 『さんを家に送るために残ってたんじゃないか…?』 雨の降る中、新羅のマンションを出た静雄は部屋の灯りを見上げてから歩き出した。降り出した雨は今まであった街の匂いをかき消すかのように水たまりを作っていた。 |