12.帰りたい場所


臨也はパソコンに向かい仕事をしていた。睡眠薬で眠っているはソファに寝かされている。

――量が多すぎたか。

臨也はを横目でちらと見ながら思った。逃げられない程度に動けない様にするならばしびれ薬の方が的確だったかと物騒な考察をしている。夕刻に意識を失ってから深夜までは全く起きず、臨也は早く起きて欲しい、と思っていた。これから起こり得る事を知っている彼女。誰かの秘密を知っているかもしれない彼女。そしてその筋書きを壊しうる存在である彼女。全ての可能性のあると早く話がしたかった。ここまで不安定で予測できない駒は他にないといって良かった。わくわくする感覚を堪え切れず、臨也は椅子から立ち上がり街灯しか灯りのない街を眺めた。雨が上がった様で、窓には水滴がついている。水滴の間から見えた存在に臨也の笑みは崩れた。

「…あーあ、早く起きないから。もう来ちゃったよ。」

忌々しそうに目を向ける先には臨也が唯一嫌悪している男がおり、こちらに向かってくるのが見えた。軽い足取りでコートを羽織った臨也はナイフを確認してから玄関へと向かっていった。




――ガチャン。

臨也が部屋を後にした瞬間、の耳にその音が入った。





エントランスから出た臨也は静雄の方に向かい立ち止まった。静雄はもう5メートルという距離で禍々しいほどの怒りを身に纏っている。臨也の姿を捉えると静雄の殺気は一段と強さを増した。

「こんな時間にどうしたの?シズちゃん。」
「いーーーざーーーやぁーーーー!」

質問に答える間もなく静雄は道にあった標識を引っこ抜いて臨也に投げ飛ばした。臨也はそれを避け、深夜の街に轟音が響いた。臨也は静雄がいつも以上に殺気立っているため、怒りに任せて自分を追ってくると思っていたが、現実は違っていた。静雄は臨也の部屋のある窓を見上げている。もちろん外からは何も見えない様になっているのだが、静雄はがそこにいるという確信があった。相変わらずの静雄の勘に臨也は目を細め、そうしている隙にナイフを投げつけ自分に注意を引きつける。

「どこ見てんの?俺はこっちだよ。」
「いつも逃げ回ってるテメエがここに留まってる時点で、がいるっつってるもんだろうがぁぁ!!!」





先ほどドアの閉まる音がしては目を覚ました。やっとの思いで起き上がるが頭がぼんやりしていて痛いので、すぐに思い出す事ができなかったが我に返った。ここには臨也がいたはずだと思ったのだが、姿は見えなかった。

――いない…?

そう思った時に外から騒音が聞こえ、はびくりと肩を震わせた。何があったのだろうと、頭を押さえながら窓際まで何とかたどり着いた。するとマンションの入り口で自分の方を見上げている静雄がいる事に驚き目を見開いた。

――なんで。なんで静雄さんが。

あちらからは見えていないはずなのに目が合っているような感覚がした。助けにきてくれたのだろうか。あんなにも迷惑を掛けてしまったというのに、それでもまだ自分と繋がってくれようとしているのだろうか。気付くとは涙を流していた。

私には帰る場所がない。もう、あの家にだっていられない。それでも、頼ってもいいのだろうか。

会わせる顔もないと思っていたが、この状況をどうにかする方が先決だった。早くこの場を出なければという気持ちで涙を拭って部屋の出口へと向かう。気持ちだけが先走るが視界もハッキリせず頭痛もする為、なかなか上手く動けなかったが、少しずつ歩みを進めた。





なんとかマンションへ入らせまいとして、臨也もいつもとは違いその場で静雄を迎撃していた。何か良い案はないかと考えている暇もない。静雄は身体のそこかしこに傷を作っているがそんな事はおかまいなしで、街路樹にまで手を掛けた。ミシミシと木の砕けるような音がする。臨也の動きを止めるのには大きな衝撃がない限り無理であり、同時にを連れ戻す事ができないと判断していた。

「っらああああ!」
「あっははは!シズちゃんそんなものまで投げるんだ。ホント化け物だね。」


「やめて下さい…。」

その声で静雄の動きが止まった。そして声の主を確認した臨也は静雄の隙を見逃さなかった。フラフラになりながらもがエントランスまで降り、自動ドアの前に寄りかかっていた。

「っ……!」
「大丈夫です…。」

静雄が満身創痍のを支えた時には臨也の姿は既にいなくなっていた。

「あんの野郎…!」
「もう、いいです。追わなくていいです…。」

そしては静雄が支えてくれていた腕をそっと離した。まるで自分にはその資格がないという様な様子で。静雄が傷だらけになっている事に気付き、は顔を歪ませた。助けにきてくれたのは嬉しいが、は複雑な思いでいた。逃げ出す事に必死だったので、その後の事は考えていなかった。申し訳ない気持ちと、ここに来てくれたという思いが複雑に混じり合い、の目には涙が溜まっていた。静雄は怒っていた事も忘れてどうしていいのかわからなくなった。

「静雄さん…すみません。私のせいで、迷惑掛けて。会社のみんなにも…沢山。せっかく仕事…紹介してくれたのに。…全部台無しにして。ごめんなさい。」

最後の言葉と同時に瞳から大粒の涙が零れ、あとからあとから涙が流れていった。静雄はこんな風にが涙を流して泣いているのを見たのは初めてだった。彼女はいつも気丈で、泣きそうになっていても自分を抑えていたので、余計に胸が痛んだ。自分の事を責めているが、悪いのはではない。あんなに懸命に生きている彼女を誰が責められるだろう。

「お前がやったんじゃねぇってトムさんが証明してくれた。」
「…え?」
「戻ってこいよ。」
「…私が、あの会社にいたらきっとまた、迷惑が…。」
「掛けろよ、迷惑。」

俺だって数えきれねぇほどしてんだよ。と静雄は言って、少し気まずそうにの前を歩いた。歩いてからを気にするように振り返った。



「帰ろう。…な?」


それはが今まで聞いた中で、一番優しい声だった。自分がここにいても良いと言われたような気がした。あの場所にもう一度、戻ってもいいと。戻れるならば戻りたい。また、あの場所に帰りたい。戸惑っていた気持ちがやっと素直になった瞬間だった。


「………はい。」


そう答えて、は再び涙を流してしまったが、それは悲しい涙ではなかった。は静雄の後に付いていき、涙を拭った。そして静雄は後からついて歩いてきたに優しく微笑んで初めて会った時のように歩幅を合わせるのだった。
























「色々聞きたかったけど、まぁさんが異世界人ってことが知れただけでも収穫かなぁ。」


マンションの屋上から二人の歩いていく姿を眺め、臨也は口の端を上げた。楽しそうに、これから起こる事を思い描きながら――。





To be continued…