11.Rain Dogs 「その辺に座りなよ。」 は折原臨也のマンションには初めて入ったが、何度も見た事があった為、奇妙な感覚に捕われていた。タオルを渡され、はソファに腰掛けた。沢山泣いた後で頭がズキズキと痛む。雨で再びスーツが濡れ、タオルで身体を拭いた後も肌寒く感じ、身を震わせた。ほどなくして出された紅茶が温かくなんとか風邪を引かずに済みそうだと思った。 はとにかく自分を嵌めたに違いない臨也と話をしなければいけないと思っていた。そして、これ以上自分が逃げ回っていてもしつこく追い回される事もわかっていた。きっとどこへ行っても今回のような事を繰り返してしまう。だからこそここへ来る事も拒まなかった。全て話すという選択肢しかないのだ。 「…折原さん、なんで私に罪を着せたんですか。」 「俺が質問に答えたら、さんも質問に答えて欲しいんだけど。」 「いいですよ。」 向かいに座った臨也は、を嵌めた事を隠しもせずに条件を出してきた。彼はやっと自らの巣に飛び込んで来たを歓迎していた。今まで怯えた様な視線しか向けて来なかった彼女だが、今は臨也を真っ直ぐと見据え挑んでくるような目をしている。それは初めて見る表情であり、彼女はこういう表情をしている方がずっといいと歓喜していた。罪を着せ、を孤立させた時点でこうなる事はわかっていた。どんな言葉がの口から出てくるのかをずっと楽しみにしていたのだ。 「職場でも家でもほとんどシズちゃんが近くにいるから落ち着いて話もできないって思ってね。まぁ…後は嫌がらせ?」 ここでほとんどの人ならば激怒する所なのだが、にとっては想像の範囲内だった。昨日の時点で臨也に話しておくべきっだったのだ。そうすればこんな事にはならなかった。こういうやり方なのだ、この男は。背中を押しているだけだと本人は言うが、実際やっている事は追いつめて追いつめて、そして少し挑発して。他の道を塞ぎ、そこを歩けと道を一つにすることなのだ。 「周りを巻き込む様な事はしないで下さい。」 「さんの正体さえ知れれば、もうこんな事はしないよ。…で、君は一体なんなの?」 「…私からすれば折原さんの方が不可解ですよ。」 「どういう意味?」 「あなたは、私の世界では小説の登場人物だった。私はこの世界の人間じゃない…。」 その言葉を聞いて、臨也は今まで調べてきた事が走馬灯のように駆け巡った。存在しないブランド名とそれを身に纏った存在しない人間。経歴はおろか親や兄弟もいない。友人と呼ばれる人もいない。戸籍も存在しない。それなのに自分を知っている。それも「よく」知っている。全ての事が繋がった。 「君は別の世界の住人ってことか…今、その小説のどこに当たる?」 「随分と物分かりが良いんですね。疑わないんですか?」 「俺はちゃんとさんを調べた上でこの話を聞いてるんだから、さんを疑うとなると俺自身の仕事を疑うって事になるからね。…で?」 「まだ、始まる前です。」 「始まる前…。」 臨也は楽しそうに笑いながら頷いた。想像以上の面白い火種になりそうだと。 「さんの態度からすると、俺の事は詳しく描かれているみたいだね。」 「折原さんがまともな人なら最初に会った時点で頼ってます。」 「あはは!違いないね。」 「…もう、いいですか?」 「何が?」 「私の事は話しました。だから、もう関わらないで下さい。」 は自分で言っていながらも、きっとこの男からは逃れられないと思っていた。しかし今日はもう話をしたくなかった。余計な事を言って墓穴を掘るのならば早くここから出てしまいたかったし、これだけの情報があればしばらく臨也は大人しくなるかもしれない。だが、臨也は切り口を変えて話を続ける。 「Rain Dogsってもしかして君が勤めていたブランド名かい?」 「…そうですけど。」 「今の君にぴったりの名前じゃないか。知ってるとは思うけど、匂いのわからない雨の日に鼻が利かなくなった…『街で見かける迷い犬』なんてさ。」 自身も自分の勤めていたブランド名についてはちゃんと知っていた。由来は、何を着ていいのかと迷っている女性に提案する…という意味でつけられたブランド名だった。しかし、本来の臨也の言った通りの意味で自分にぴったりと当てはまってしまっている事が何よりも皮肉だった。 「どうせあそこも追い出されるんだろ?ならうちで働けばいいじゃないか、仕事もできるみたいだし。人手が足りなくて困ってるんだよ。」 自分をクビに陥れた人間と何が悲しくて一緒に仕事をしなければならないのだろう。は抑えていた怒りの感情を表情に滲ませた。臨也としてはやはり手駒は傍に置いておきたい、という事なのだろう。 「結構です。」 「せっかくどこも働ける場所がないっていうのに…。これからどうするの?また新羅たちに頼る?」 「折原さんには関係ない事です。もう、いいですよね。」 す、とが立ち上がった途端、眩暈がして床に座りこんだ。ただの眩暈ではなく視界がどんどんぼやけていく。臨也を方を見上げた時、視界の端に紅茶のティーカップが目に入った。 「ま…さか。」 「ちゃんと警戒しておかなきゃだめじゃない。」 は自分を見下ろす臨也の口元が笑みで歪んでいるのが見えた。わざと会話を延ばしていたのか、とは臨也を睨んだ。しかし、軽はずみな行動を後悔し始めた頃には既に朦朧としていて、数秒後には意識を手放していた。 「まだ聞きたいことが沢山あるんだからさ。」
静雄たちは一仕事終え、トムは人のいなくなった事務所でできる限り調べてみると言って事務所へ戻った。仕事場から帰った静雄はに話を聞こうとすぐに部屋のインターホンを鳴らしたが、返事はなく気配はなかった。携帯電話も会社に返してしまっている為、がどこにいるのかはわからなかった。部屋に戻り、帰ってくるのを待つ他ない。壁が薄いことが気になっていたのだが、今はその方が都合が良かった。が帰ってきたらすぐに物音でわかるのだから。 しかし、静雄が帰ってきた時間も十分遅いというのにが帰ってくる気配はなかった。新羅の家にでもいるのだろうかと電話を手にした。 「…もしもしー…静雄?」 「、そこにいるか?」 「ん、さん?いないよ。…どうかした?」 その言葉に静雄は眉をしかめた。新羅の家以外にが頻繁に通う所などほとんどないはずである。 「が帰って来ねぇ。」 「帰って来ないって、何?君たち一緒にでも住んでるの?」 「ちげぇよ。」 「なんだ…携帯は?さん持ってたよね。」 「いや、携帯は会社に返したから持ってねぇんだよ。」 「返した?」 「うちの会社の個人情報を売ったのがだっつって、本人も認めて会社辞める事になったんだよ。がそんな事するとは思えねぇんだけど。」 「えぇ?………ちょっと、待って…それ…臨也じゃない?」 予想外の場面で出てきた仇敵の名前に、静雄の手に力が入った。ミシッと携帯にヒビが入りそうになる音が新羅の耳にも入ってくる。 「落ち着いて。気持ちはわかるけど。」 「…どういう事だ。なんでノミ蟲がここで出てくんだよ!」 「昨日さんがうちに来たんだよ。臨也に会ったって。自分が正体不明で興味を持たれてるから、普通の人間だって証明できるように何か考えないとって。でもこんなに早く動くとは思わなかったけど…。」 なんとか携帯を壊さずにそのまま静雄は電話を切った。昼とは比べ物にない怒りがどんどんと沸き上がってくる。臨也とに繋がりがある事を知らなかったせいで勘が鈍っていた。あんなに不自然な事が起きたら、まず臨也を疑うというのに。帰っていない時点ですぐに新羅の元に電話をしなかった事を心底後悔していた。そうするとは臨也の元にいるのが自然だと考えすぐに部屋を出た。すると携帯が鳴り響き、相手がトムだと確認して走りながら電話に出た。 「起きてっか?」 「起きてます。」 「…時間かかっちまったけど、見つかったぞ。犯人。…苗野さんだ。」 意外な人物に静雄は歩幅を緩めた。の隣のデスクの女性を思い出す。いつも笑っている印象の古株の事務員だ。 「苗野さん…だが、指示されてやったみたいでよ。こんな細かい芸当、普通の事務員ができるわけねぇ。その証拠に罪を被せた証拠がごろごろ残ってやがる。」 やはりではなかった。それどころか臨也に嵌められて会社まで辞める事になったのだ。そしてそれは以前、静雄が臨也にされた事と全く同じだという事に気付き、怒りで全身が震える。 「…穴だらけの割にやってる事はえげつないっつーか…まぁこれをちゃんと見せりゃちゃんのクビも取り消しになるべ。帰ってから、話せたか?」 「いえ、今からです。」 「今から…って。」 「ノミ蟲野郎に捕まってるみたいなんで、連れ戻してきます。」 ブッと電話が切れた音を確認した後、トムは事務所で首を傾げた。 「ノミ蟲ってあの折原臨也だよな…?」 |