その瞳が好きだった。いつでもどこでも自分を追い続ける瞳が。 Eyes Which Arrive 高校に入学してから1カ月ほど経つと、自分のことを目で追い続けている視線があることに気づいた。それは入学当初から向けられていた多数の女子の視線の一つにすぎなかった。俺に興味を持った彼女達は俺が誰とでも平等に接する事に気付くと、やがて信者のように増殖していき、その一方で見てくれだけで選んでいた女子は俺自身の捻くれた性格や素行の悪さを知って早々と興味を無くしていった。一人、また一人と視線が外され、取り巻きだけが俺の周りに残った。綺麗に二極化した彼女達。それなのに一人だけ、取り巻きにも加わらず、視線をも外さずにずっと見続けている女子がいた。 彼女に話し掛けても普通に返されるだけで、特に仲良くなろうとする様な意志はない。好意を持っているような瞳でもない。興味本位で見てるのか、なんなのかわからない。気になるけれど、俺はとある男を潰す方に力を注いでいたから特に気に掛けることもなかった。 「なぁなぁ、ってかわいくね?」 「隣のクラスの真島が狙ってるって俺、聞いたけど。」 「真島ー?ってサッカー部の?…あー。」 昼休みも終わりに差し掛かる頃、屋上の給水塔で寝ころんでいると同じクラスの面々が話をしているのが聞こえてきた。初耳の情報と俺をいつも見ている彼女の話が出てきて興味が沸いてきた。真島はそこまで目立つようなタイプでもなく、ルックスも性格も至って普通の男子生徒だ。そして俺を見続ける彼女、さんもやや大人しいけれど、友達もいるし楽しそうに笑っているときもあって同じような印象を周りに与えている。あー、と納得しているのは、おそらく二人が並んで歩いていたら、周りからの反感もない好感度もそれなりの無難なカップルになるからだろう。 ―ただ、そんなさんの興味は俺にしかないみたいなんだけど。 相変わらず、さんは俺の事を見続けていた。彼女の視線だけが他とは違っていて気になる。試しに席替えの時に細工をして隣の席にしてみたけれど、特に何が起こるという事もなかった。 「折原くん、今日日直なんだけど、日誌書くのと黒板消すのどっちがいい?」 「俺はどっちでもいいよ。さんは?」 「うーん……じゃあ、私日誌書くね。」 「じゃあ、俺が日誌ね。」 「えっ?」 「ハズレだよ、さん。気を遣って答えたんだろうけど、俺は日誌を書く方が好きなんだよね。」 「…確かに折原くんは黒板消すの似合わないね。」 「黒板消す係に似合うとか似合わないとかあるのかい?」 「わかんないけど。」 と少しおかしそうにしながらさんはこう続けた。折原くんは書きたいんじゃなくてみんなの書いた日誌を読みたいんでしょ、と。接点もほとんどなく、会話だって今の様な事務的なものばかりのただのクラスメイトだというのに。本質的なところでさんは俺の事を理解しているのか、と初めて彼女に関心を持ったのだった。
「真島くん。ちょっと君に聞きたい事があるんだけど。」 「…なに?」 「ああ、俺は隣のクラスの折原っていうんだけど。」 「や、知ってるよ。」 部活に行こうとしている所の真島を呼び止めると、特に身構える様子もなくこちらを向いた。 「君のクラスにさぁ、荻野さんっていう女子、いるよね。彼女、どうやら君のことが好きみたいでね。俺の周りにいる女子から相談されちゃってさ。荻野さん、君に告白したいみたいだけど自分から告白する勇気もないし、君に彼女や好きな人がいるかわからない。だから、意中の人がいるのか教えて欲しい、ってね。俺、恋愛は専門外なんだよねぇ…真島くんに直接聞いたほうがいいかと思ってね。」 「荻野さん、が…?」 「そう、荻野さん。かわいいよね、君のクラスで人気があるって聞いたよ。ああ…言っておくけど、荻野さん本人じゃなくて、仲の良い子からの相談だから。」 「彼女なんていないよ。…これって俺が聞いてもいい話なの?なんかほとんど…」 「あぁ!確かにそうだね、俺、本当に恋愛に疎いからそれとなくっていうのがわからないんだよ。申し訳ないね、俺づたいの告白になっちゃって。それで真島くん、君に好きな人はいる?」 それからしばらくして、真島と荻野が付き合うことになったと噂で聞いた。今日も一緒に帰るのか、教室の窓から見下ろすと二人が並んで帰っている姿が見えた。真島がなんとなくいいな、と思っている見込みのない相手から、自分を好きになってくれる可愛い相手へ乗り換えるのは当然の事と思えた。大多数の同年代の男は好きかどうかではなく「彼女」という存在が欲しいだけなのだから。どちらから告白したのかは知らない。結果がこうなったというだけでもう関係のない事だ。二人への興味を失って目を離すと、真島と俺にそんなやり取りがあったことを露ほども知らないさんが、隣の席で帰り仕度を始めていた。なぜかふっと笑いが漏れる。 「さん。」 「なに?」 「悪いね、数学の時間、俺の代わりに当たっちゃって。」 「……。」 俺がほぼ丸一日不在にしていたせいもあって、さんは目を丸くして言葉を失っていた。こういう時、なぜ知っているのかという無粋な事を聞くわけではないのだろうなと次の言葉を俺は待っていた。 「なんとか解けたから、大丈夫。でも、今度の日直は黒板消しと日誌、両方やってね。」 「そんな事でさんが何回もとばっちりを受けてくれるなら喜んでやるよ。」 「……。」 「うそうそ、なるべく授業に出るようにするよ。」 「ほんとかなぁ…。」 「まぁ文句ならシズちゃんに言ってよ、俺だって進級できないのはちょっと困るからね。」 「折原くんが進級できないとか想像つかないよ。」 「そう?」 「うん。」 そう言ってさんはいつも俺を見るあの真っすぐな瞳で俺を見た。 ―さんはどうしてそんなに俺を見るんだい? そう聞いて、何になるのか。一体何を言わせたいのか。出かかった言葉を喉の奥で留まらせた。ただただ、ひたすらに真っすぐなその瞳が嫌いではなかったし、気付かないフリをしてわざと目を合わさないようにする事すら楽しく感じていたのだから。 その後もさんを狙う男子がポツポツと現れては、消えていた。消えていたんじゃなくて、消していただけの話だけれど。それはあの男を潰す労力に比べたら簡単すぎて欠伸が出るほどだった。それなのに片手間でもその作業が一つの楽しみになっていた。 そして1年が経った。クラス替えが毎年ある高校だった。そして貼り出されたクラス発表を見ている彼女が目に入った。心底ホッとしたような表情の前にあるのは彼女の名前ではなく、俺の名前だった。 「そんな顔しちゃって…何がそんなにいいんだろうね。」 かわいそうに、俺を気に入ってしまったばっかりに、さんを好きになる男がいてもさんには辿り着けない。どんなに誠実で、優しくて、幸せになれそうな人がいても、俺の目が届く内はさんの瞳が他の所に行くことが気に食わなかった。 ―そう、気に食わないんだよ。 沢山の女性達に囲まれた中で、ふと視線に気づいて振り返ると彼女がそこにいた。見た目も年齢も変わってしまったけれど、その瞳は変わらぬままで。品のある綺麗な女性へと変貌していた彼女は目が合ったと思ったら、他の男に話しかけられてそちらの方へ向いた。その後も次々と別の男が現れて囲まれていく。 「話をしたい子がいるから他へ行ってくれない?」 そう言葉を発すると不満気な声が次々と聞こえてきたけれど、気付けば俺は彼女のほうへ向かって歩いていた。懐かしい、久しぶりのあの瞳。高校を卒業してから彼女のことはもう気にしていなかった。というよりその余裕がなかったのも事実だ。だが、それは今日までの話だ。 なぜなら、もう君は俺の目の届く所にきてしまったんだから。
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