「私の親友に何を言ったんですか。」 私は折原臨也という男の仕事場に来ていた。目の前に座る男がおそらくそうなのだろう。綺麗な顔をしているのに、何かを企んでいるような、楽しんでいるような表情で悪意を感じる。 「俺に何か相談事があるからここに来たんじゃなかったの?」 「それはこの場所を知る為に吐いた嘘です。」 「…皮肉だったんだけどなぁ。さんって馬鹿正直なタイプでしょ?」
彼女は大学入学時から7年もの間付き合っていた彼氏と別れたばかりだ。その彼と結婚の話も出ていたらしい。2人とは大学は別だったけれど一緒にご飯に行ったこともあり、とても仲が良くて理想的なカップルだった。 だから彼女から別れたと聞いた時、どうして?とあからさまに顔に出てしまっていたかもしれない。振ったのは彼のほうだったから、彼女はきっとひどく傷ついていて、どうしてだなんて聞かれたくなかったに違いないのに。ショックを隠しきれない悲しみに満ちた目だった。それからだ、彼女の様子が変わっていったのは。 独りでいる事を嫌がるタイプだったので、こまめに連絡を取るようにして会う様にした。最初は無理をして笑っていた彼女も、段々感情を隠す事をやめ、笑顔が消えていった。何もできない自分に腹が立った。可愛かった彼女は身だしなみを整えることをやめ、いつも青白い顔をしていた。別れてからまだひと月と経っていない時に、彼女の口から「前の彼が二十歳の女の子と結婚する」という事を聞いて愕然とした。 そんなに急に人の心は変わるものなのだろうか。それとも、前からその子との関係があったのだろうか。でもそんな事は当然彼女も想像した事だろう。そして、かつての彼女からは想像もできなかった言葉が出てきた。死にたい、と。だからその夜私の家に泊まりにきなよと言ったけれど、今日は一人でいたいからと断られた。結局、私は彼女にしてあげられる事は何もなかったのだ。そして、その日を境に彼女の様子は一変する。 次の日の夜、彼女の家を訪ねると以前の明るい笑顔で迎え入れてくれてびっくりした。かわいらしい服を着て、部屋を綺麗に片づけ、私に美味しい紅茶を入れてくれた。何かいい事でもあったのと尋ねると彼女は満面の笑みで言った。 「あったよ!昨日はごめんね、変なこと言っちゃって。私、まだ死ねないよ。」 何か、言葉に引っかかるものを感じた。言っていることは昨日とは比べ物にならないほど良い傾向にあるのに。 「臨也さんの言う通りにしてればいいの。」 「いざやさん…?誰、それ。」 「臨也さんはね、何でも知ってるから。大丈夫だよ。」 少しずつその違和感が確かな形を持って、私に警鐘を鳴らしている。誰だ、それは。そんな名前の人は初めて聞いた。彼女は私を見ているようでいて、どこも見ていない。そして、彼女の目に映るのはその臨也という人なのではないかと思った。盲心的に信頼しきっていて、一体彼女に何を吹き込んだのだろうと怒りが沸いた。これではまるで操り人形ではないか。言う通りにする、とはこれから何かをしようとしているのだろうか。それをやり遂げるまでは死ねないと、そういう意味なのだろうか。彼女はその後も臨也という人がどれ程すばらしいかを熱弁をした。それを聞き流しながら、その臨也という人と話さなければと思った。
彼女に嘘を吐いて折原臨也に悩みを聞いてもらいたいと、場所を教えてもらいこの仕事場まできた。きっと元彼と今の彼女の仲を引っ掻きまわして破局へと導くのだろう。折原臨也の目的がなんなのかはわからないけれど、彼女のあの明るい表情を見る限り、復縁できるとでも言ったのだろう。 「何をさせようとしているかは大体想像がつきます。そっとしておいてあげて下さい。」 「どうして?死にたがって死のうとしている人にせっかく生きる糧を見つけてあげたのに。さんだって見ていられなかったんじゃない?どんどん落ちぶれていく親友を見てさ。君ができなかった事を俺がしてあげただけだよ。」 その言葉に憤りを感じて拳を握りしめた。私が一番言われたくない事だった。何もできない名前ばかりの親友。自分でだって十分わかっているのに。 「…私の事はいいんです。」 「いいって顔してないけど?」 「彼女と関わらないで。関わったら許さない。」 「全く。思い通りになる人間の周りには大体こういうタイプがいるんだから面白いよね。」 歪んだ笑みを浮かべて折原臨也は手を組んだ。目を細め、鋭く光る眼光は私の瞳を捉えている。 「ところでさ…日下部くんは元気?」 日下部という名を聞いて沸騰寸前の頭が一瞬にして冷えていった。そしてその後に続く言葉も予想できたし、できれば聞きたくなかった。 「そんな顔しなくても、言ってないから大丈夫だよ。たった一回だけでしょ。」 「やめて。」 「さんが彼女をそれだけ庇うのは…罪悪感があるからなんでしょ。それで君は罪が少しでも軽くなればって思ってる。」 どうして彼が日下部の事を知っているのだろう。それに会話の筋からいって全てを知っているとしか考えられなかった。私が彼女の高校時代の彼氏である日下部と一度だけ関係を持ったという事実を。私が当時日下部を好きで、それが本人にばれて拒みきれなかった消し去りたい過去だ。彼女持ちの日下部が誰かにしゃべるわけもなく、私も親友の彼氏と関係を持っただなんて誰にも言えなかった。噂にもならなかったし、誰にも知られていなかったはずなのに。これを今の彼女が知ったらどうなってしまうのだろう。あんなにもギリギリの所で生きている彼女に私までもが裏切っていたと知ったら。 「何も言わないよ。」 「…脅してる。」 「君は本当に頭の回転が早くて話していて楽しいよ。…俺としては君の方が気になってきたけどね。」 最後の一言だけ声色が変わり、背筋をぞっとする感覚が駆け巡って言った。私もまた破滅へ向かっている事だけは確信できた。この男に興味を持たれて良いはずがない。目的がわからない。なぜ、なぜ。何者なのだ折原臨也という男は。この男にとって何か利益になる事があるのだろうか。利益?違う、それは見当違いだ。もっと別次元の所で動いている気がする。 「さん、親友を助けたいでしょ?」 自分から秘密を知る人間の元に足を踏み入れるなんて、なんて馬鹿だったのだろう。自分から、足を、踏み入れた。そこでやっと点が繋がった。 「彼女に何かを吹き込んだのは、私のように自由に動かせる人を手に入れる為…?」 「俺は人の恋愛には口を出さないタイプなんだよ。じゃあなんで君の親友に色々吹き込んだんだろうね。」 また楽しそうに笑っている。彼女が絶望に打ちひしがれている時にこの男が現れただなんてタイミングがおかしすぎる。別れていた事を前々から知っていた?違う、もっと別の違和感があったはずだ。彼らが別れて一カ月で新しい彼女と結婚するだなんておかしいとは思っていた。ならば彼女達を別れさせたのも折原臨也…?考えすぎか。利用する人間を手に入れる為にこんなに手の込んだことをするだろうか。あらゆる可能性が頭の中に浮かんでは消え、冷や汗が止まらなくなってくる。 「君は勘も鋭いし頭もキレる。でも中学も高校も彼女がムードメーカーで人気者で目立ってた。さんみたいに地味で真面目な子が親友に羨望と嫉妬して道を踏み外すなんてさ。しかも今も罪の意識に苛まれている。興味深くて仕方がないよ!君を手に入れたら、楽しいかと思って。」 くすくすと笑っていた微笑は本物の笑顔になっていった。新しいオモチャを手に入れた子どもの様だ。前言撤回だ。この男ならやりかねない。目的なんてない。あえて言うなら、こうして人を弄ぶ事自体が目的なのだ。折原臨也は狂っている。 「もう俺の事も大体把握したんでしょ?ならわかるよね、どうすればいいか。」 秘密を握られた今、彼女を壊さない為にできる事は、一つしかなかった。私もまた彼女のようになる他ないと。
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