08.鍵 体の震えが止まらない。布団を被っているのに寒い。眠りに着きたいのに体が辛すぎて意識だけがはっきりしていて眠れない。一体どうしてこうなってしまったんだろう。いや、違う。こうなって当たり前だったのかもしれない。ここ数日、ロクに眠りもせずに仕事をして、精神的にずっと落ち着いていなかった。それが体に出ただけの話だ、と思っては目を瞑った。気を抜くと、歯がガチガチと音を立てて鳴る。インターホンが鳴って、は黒岩だろうかと体を引きずる様にしてドアを開けた。 「新羅さん…。」 「だいぶ辛そうだね?静雄から連絡受けてね、まぁとにかく横になった方がいいみたいだし、お邪魔するよ。」 普段通りの新羅の様子にはホッとした。新羅に電話をするという事すら思い浮かばなかった。それ位辛くて、一人でいるととても心細かった。 「とりあえず二日分の薬を出しておくから。今日はあったかくして眠るしかないね。あとは電解質…ポカリとか飲んで脱水症状にならないようにして。大丈夫、ただの熱だからすぐに良くなるよ。」 「ありがとうございます…。」 苦しそうに呟くを見て新羅は心配そうに言葉を紡ぐ。 「この前、臨也がやらかしてくれたみたいだから…さんも疲れが溜まってたんじゃないかな。」 「新羅さん…私、身分が証明できるようになって…前の世界の人たちも、この世界に存在するようになったんです…。」 「え…?」 「伝えようと…思ってたんです、けど…よくわからない事ばかりで…。」 「本当に…?…いや、今日はさんも本調子じゃないから無理して話さなくていいから。とにかく治す事だけ考えよう。」 「…はい…。」 新羅はの話が気になったが、これは今話すべき事ではないと思ったし、が体を壊した事も身体的な事よりも精神的な事が大きく関係しているに違いないと確信した。 それから新羅が帰った後、黒岩が色々と差し入れをしに来てくれた。とにかくゆっくり休んで、と新羅と同じように声を掛けてから帰っていった。本当に自分は沢山の人に支えてもらって生きている。感謝するのと同時に一緒にいられなくなってしまうかもしれないと思うとずきりとの胸が痛んだ。
夜、は携帯の振動音で目が覚めた。まどろんだ意識のままに電話に出た。 「悪い、起きてたか?」 「…静雄さん?…今、起きました。」 聞き心地の良い声だな、と思ってから、はベッドから起き上がって玄関に向かって歩き始めた。 静雄は様子を見てくるようにと、それこそ黒岩やトム、新羅にまでも言われていた。しかし夜も遅いのでどうしようかと迷っていた。電話をして出なかったら眠っているのだろうし、起きていたら寄ろうと思ったのだ。しかし、電話で起こしてしまうという考えにまで及んでいなかった。 「…悪い…邪魔したな。」 「新羅さんを呼んで下さって…ありがとうございました。」 「気にすんな。体に障ると悪いし、もう切るな。」 震えはようやくおさまったが、熱が上がっていて全身が熱くてだるい。それでもは歩き続けて鍵を開けてドアノブを回した。ドアを開けてみると携帯を手にして壁に寄りかかっている静雄がいた。 「…え。」 「多分、いるんだろうなって思ってまし…た。」 「あ、おい…。」 ずる、とドアに寄りかかったを見て静雄は慌てて体を支えた。は静雄を見ただけで何かの糸が切れたように気を失ってしまっていた。 ベッドまでを運び、布団を掛けると静雄はの隣に座って寝顔を見た。額に汗がはりついていて、息も浅く苦しそうにしている。台所へ行くと黒岩が色々と用意をしてくれていて、タオルを濡らして軽く拭くと額に乗せた。 「…どうしたんだよ。」 ここ数日のの態度に独り言のようにして呟いた。無論、尋ねても返事は返ってこない。避けられていると思っていた為、が先ほど出てきてくれた時、正直嬉しかったのだ。 静雄は隣の自分の部屋に帰ろうと玄関まで行ったが、よくよく考えると自分が出た後に鍵を掛けられない事に気がついた。遅い時間に病人の部屋に鍵を掛けずに出る事は躊躇われた。かといってを起こして鍵の在りかを尋ねるのも、微かな灯りの中、部屋を捜すのも起こしてしまうかもしれないと思い、仕方なくドアに鍵を掛けて再びの隣に座った。
明け方、はぼんやりと意識を取り戻した。熱がまだまだ上がっているような感覚で、朦朧とする。ふと、左手の辺りに違和感を感じて目を開けると、ぼんやりと金髪が見えて驚いた。ベッドの上に腕を敷いて頭を突っ伏している所を見ると眠ってしまっているらしい。微かに寝息が聞こえてきた。電話が来て、壁に寄りかかる静雄の姿を見た所までは覚えている。静雄の姿を見た瞬間、新羅や黒岩が来たときとは違う感情が込み上げてきたが、それが何だったのか熱を持った頭では考えられなかった。それ以降の記憶が全くない事を考えると、どうやら倒れてしまったらしい。 ――心配して、ついててくれてたのかな。 いつもは自分より高い位置にある頭が手の届く距離にあって、は特に何も考えずに左手を動かして触れようとした。が、触れるか触れないかの所でぴたりと動きを止めた。静雄の背中が暗闇の中でも少しだけ動いている。そしては持っていった手を元に戻し、また眠りにつこうと目を瞑った。
が目を覚ますと静雄の姿はいなくなっていて、携帯にメールが入っていた。鍵を掛けずに家を出るのが不用心だと思ったのか、机の横に掛けていた鍵を見つけて戸締りをして出てくれたらしい。各部屋のドアにはポストもなく、1階にある郵便受けも上と下が丸見えになっている状態のもので、鍵は静雄が持っているという事だった。どの道、は熱が出ているし、差し入れもあるので外に出る用事もないと思い、お礼のメールをした。 メールの内容から、静雄が鍵の事で色々と気を回してくれていたという事がわかった。そして昨夜ついていてくれた理由もわかって、はふっと笑った。起こさないようにとか、鍵を掛けないと危ないからとか。あまりにも優しすぎて、こちらが苦しくなってしまいそうだった。そして黒岩からの差し入れを少しお腹に入れ、熱を測るとまだ38度もある事に気付き、は再び布団に潜り込んだ。早く治すには眠るしかないと思いながら。 そしていつかと同じ様にガチャという音で目が覚めた。鍵を開ける音。ドアが開けられる音。そして足音。しかし、今まで静雄が出て行った時は気づかなかったのに、その音はあまりにも無遠慮な気がして、目を開けて驚愕した。 「…風邪でも引いちゃったのかな?」 自分の部屋の鍵を指に掛けてくるくると回しながら、臨也が自分を見降ろしている。の表情を目にすると、臨也は不敵に笑った。これが夢ならばいいのに、とは現実から逃れたい衝動に駆られた。 |