05.喧騒の中の冷戦 翌日、は仕事が終わってからサンシャインシティの中のある店に来ていた。少し距離を置いて眺める先にはにとって見覚えのある商品がいくつもディスプレイされている。明るい照明と、カラフルな洋服、そして可愛らしい演出物が見える。いらっしゃいませと笑顔で通行人に声を掛ける販売員。かつて自分が勤めていた「Rain Dogs」というブランドの池袋サンシャイン店だ。は地方店だったため、その店に知っているスタッフはいないし、店長会議でも相当の人数が集まる為、どのスタッフが店長なのかはわからない。少し前までは販売員としてそこに立っていたのだ。そう考えると不思議な気持ちになった。 昨日の今日で店に自然と足を向けてしまうなんて、戻りたいのだろうか、とふと自分に問いかけてみた。だが、もうのいた場所には別の誰かがいて、今日もきっと店は何事もなく営業しているのだろう。 「偽名じゃなかったんだね、さん。」 聞き覚えのある声と、偽名という単語でギクリとして声のする方を見ると、予想通りの人物が立っていての中の不快指数が上がった。数メートルほど離れた所には臨也が立っている。通行人たちはと臨也を気に留めることもなく、ただただ通過していく。 「君…本当に優秀だったんだね。同期は100人近くいるのにその中で最短で店長になるなんてさ。並大抵じゃない努力と精神力がないとできない事だよ。素晴らしいと思うよ、俺は。」 なぜ会社の内情まで知っているのだと思ったが、臨也に自分の経歴も交友関係も全てが知れ渡っているのだろうと今の言葉でわかった。むしろ正体不明であるよりもこうして素状が明らかになった方が良いのか、突然すぎてにはわからなかった。 「ああやって華やかな世界で、表舞台に立って仕事してる方が似合うのに。安物のスーツなんかに身を包んで、あんな会社の一事務員でいるなんて…実に勿体ない。さっさと辞めて販売員に戻ったら?」 「私がいた店はもう別の方が店長をやっていますから。…そんなに嫌ですか?私があの会社にいるのが。」 以前、臨也は静雄が近くにいると思うと落ち着かない、と話していた事を思い出した。臨也はの言葉に笑って言葉を続ける。本当に何を考えているのかわからない。 「小説はどうなっていってるのかなぁ…もう始まったの?さんがいきなり身分を証明できる様になった事と関係あるんじゃない?」 本当に何なのだろうとは逃げ出したい気持ちになった。は自分だって昨日その予測を立てたばかりだというのに、と息苦しくなってきた。だが、きっと逃げても臨也は追ってくるに違いなかった。それはもう嫌というほど思い知ったのだ。 「あぁ…そう。始まったんだね。」 「…まだ何も言ってないです。」 「さん、正直だから顔に出やすいんだよ。だから俺の質問に答えなくてもわかるよ。それで俺はどうなっていってる?」 「え…?」 「別に核心になるような事を聞いてるつもりはないよ。俺だけじゃなくてさ。他の人やシズちゃんはどうなっていってるの?小説の中で。」 質問の意図が理解できず、どう答えるべきかは迷っていた。小説の中で臨也はどんどん黒い欲望の中に身を投じていき、悪い方へと進化していっていた。周りを巻き込み、自らを黒幕と称して。しかし、静雄は違う。力を制御する事ができるようになり、新しい後輩とも繋がりを持って周りの人を守れるようになっていた。そういった意味で二人は全く逆の方へ進化していっている様な気がした。 「君が物語に介入するとその小説の話自体が変わったりするのかなぁ?それに…。」 話が変わってしまったら、と考えては静雄の事を考えた。自分がいなくても彼は良い方向へ自ら進んでいくことができる。それも至極、真っ当なほうへ。それを自分が関わる事で方向が変わってしまったら、と考えては困惑した。 「始まりがあれば終わりもあるわけだし、小説が終わったらさんはどうなるんだろうね?」 心臓を鷲掴みにされたような感覚だった。に物語の終わりはわからないが、いつかは終わりが来る。そして、存在し始めた自分はもしかしたら終わりと同時に消え去ってしまうのではないだろうかと一つの可能性が生まれて震えた。このままではだめだ、これ以上臨也に話をさせていて良い事なんて一つもない。そう思ってから臨也の方を見た。臨也はまだ聞きたい事があるようで、から目を離さなかった。そしては何かに気付いたように鞄を開けて、携帯を取り出して話し始めた。 「もしもし。すみません、今、サンシャインシティのRain Dogsという店の前にいるんですけど。」 「……。」 臨也は電話に出たの会話に耳を澄ました。仕事か何かの用ならばすぐに終わるだろうし、そのまま移動するならばついていって、電話が終わってから話せばいいと思った。 「来ていただけませんか?……はい、折原さんがいます。」 「……は?」 会話がおかしな方向に進んでいると思い臨也は思わず言葉を口にした。そして無言になったは耳から携帯電話を離しボタンを押して鞄にしまった。なぜ自分の名前を口にしたのだろうと思った瞬間、臨也は悪い予感がした。電話を受けたのではなく、が電話を掛けていたとしたら。 「…聞くけど、今誰に電話した?」 「静雄さんです。」 ぴくりと眉の端が動いた事をは見逃さなかった。あまりにも自然に電話がきたようなそぶりを見せて話をするので、まさか静雄に掛けているとは思わなかった。助けを呼ぶにしては冷静すぎた。 「…やってくれるじゃないか。」 静雄がやって来る前にどうにかすれば良いわけだが、ここはショッピングビルの中で人も大勢行き交っており、を攫うことはかなわない。そして、はたった今静雄を呼んだのだ。悠長に話していられる様な状況ではなくなり、臨也はこの場を離れる他なかった。 「早く行かないと静雄さん、この辺りにいたみたいなんで鉢合わせちゃいますよ?」 「まだ、諦めたわけじゃないから。」 少し目を細めてを見てから臨也はその場を去っていった。そしてその後姿を見送ってからは大きくため息をついた。 実の所、は静雄に電話をしていなかった。ただ小芝居をうったにすぎない。今度何かあったらすぐに言うようにと静雄からは言われていた。しかしいつも頼っているわけにはいかないと思い、なんとか自分で対処する方法を考えてのことだった。ハッタリが見破られずなんとか切り抜けられたが、この方法がいつも通じるとは限らない。また他にも打つ手を考えなければならないとは壁に寄りかかった。 |