10.夢でも、現実でも


翌日は元々休みだったという事もあるのだが、まだ微熱があった為、は家にいた。記憶が正しければ隣の部屋の静雄も休みだったとは思うのだが、が起きたときには物音がしなかったので、外に出ているのかもしれない。そして午前中のうちに新羅が往診に来てくれるという事を聞いていた。



「あれっ…?セルティさん。」
『新羅が急な仕事で来れなくなったから、代わりに私が来たんだ。』
「そうだったんですね。もう微熱くらいまでは下がったので私が行けば良かったですね。」
『まだダメだ!治りかけの時にちゃんと休まないと。薬も一応持ってきてあるから、さんは休んでて。』

まるで本当の医者のようでは少し笑った。セルティと一緒にいるととても落ち着くし、元気をもらえるのは本当にありがたい事だった。促されるままにベッドに入るとセルティはPDAに文字を打ち始めた。

『病人のさんに今からこんな事を話すのもなんだが…教えて欲しい料理があるんだ。』
「私でよければいつでも。」
『ありがとう。昨日も本の通りにやってみたんだが、さっぱりだったんだ…。さんがいれば本当に心強いよ。』
「大したものは作れないんですけどね…。」
『いや、迷惑と思われるかもしれないが、今後わからない事があったら聞きたいし。これからも……』

セルティは途中でPDAを打つ手を止めた。がとても辛そうな顔で、その文を見ていたのだ。

『どうしたんだ…!?具合でも…。』
「違うんです、体はもう、本当に大丈夫で…。」

言っている事は本当なのだが、歯切れが悪い。はセルティがこれからの話をし始めた所で、自分にとってのこれからが一体いつまで続くのだろうかと考え始めてしまっていた。不透明な存在で自分の意志とは全く関係なくここに来たのだ。だからこそ、いつ終わるのかもわからない不安が臨也に煽られた事で一層大きくなっていた。



『新羅から少し聞いたんだ。さんの周りの人や関わったものが繋がったって。』
「…はい。それで…私の世界が繋がった日は小説が始まった日と同じかもしれなくて。」
さんの知ってる小説が?』
「はい…だから…始まりがあれば終わりがあるんじゃないか、って。私…いつか、小説が終わったら突然消えてしまうかもしれません…。」

の声は震えていた。信じたくない気持ちが入り混じった声が自分自身の耳に入ってくる度に不安な気持ちがのしかかる。

「どんな風に周りと接していいかわからなくて…親しくなったのに、いきなり消えたらそれこそ周りに迷惑や心配を掛けるんじゃないかって…。」

の気持ちとは裏腹に言葉が口を吐いて出ていく。喉が詰まってしまって上手く言葉がしゃべれない。途切れ途切れでも、口に出さずにはいられなかった。

「それに、私が小説に関わったら物語が変わってしまうかもしれないって言われて。そうしたら、静雄さんは小説の中で自分の力でどんどん良い方に向かっていけるのに、それを邪魔してしまうんじゃないかって…それを思ったら、関わらない方がいいのかとか…。私が消えてしまうかもしれないのは別にしても、静雄さんの進んで行く場所を邪魔したくないんです…。」

行き場のなかった感情を吐露するの目は涙で揺らめいている。セルティはの事を静かに見守っていたが、言葉が途切れたにPDAを打って見せた。








さん…さんは本当に静雄の事が好きなんだな…。』


目に入ったと同時に息を呑んだ。その言葉が全てだった。



本当は自身も薄々気づいていた。でも、気付かないふりをしていた。認めてしまったら辛いから。静雄を忘れてしまうなら、もしくは自分が忘れられてしまうなら、どうかせめて静雄が幸せになってくれればいいと。でも、もう見て見ぬふりができない程、好きになっていた。自分が元の世界に戻ったと思った時、無意識で静雄に連絡を取ったことだってそうだった。熱が出た時に姿を見ただけで安心して気を失ったことも。出会ったときの事、助けに来てくれた事、背中を押してくれた事、元気づけてくれた事を一つずつ思い出すと涙が頬をぼろぼろと伝っていった。



「すき……です…。」


言葉にしたらどんどん想いが溢れて涙が止まらなくなっていた。セルティはの肩に手を置いて、落ち着くまでずっとさすっていた。そして再び文字を打ち始めた。

『大丈夫。私も気持ちはわかる。自分の存在自体が何なのかわからなくなって、どうしようもない気持ちになったりするのは私も同じだから。』

はセルティがずっと首を探し続けている事を考えた。セルティもまた自分の存在意義をずっと問い続け、探し続けてきたのだと。

『私の首が戻ったら首がなかった時の記憶は全部なくなってしまうのかもしれない、って思うと怖い…けど、今この世界に生きているんだ。だから後悔しないようにしたいと思ってる。』
「後悔…。」
さんはこのまま静雄や周りの人距離を置いて過ごして、後悔しないか?』

セルティの放った言葉は少しずつ心に染みていった。このままで後悔しないわけがない。本当は周りとだって今まで通り接していたいし、静雄と距離を置きたくない。今までの自分の振り返ってみて、何をしていたのだろうと考えた。



『話の筋を変える様な事ができるんだったら、その変わった筋をまた変えて行く事だってできると思う。悪い方向へ行くようなら、さんが良い方向に導いてやればいいと思うし。』
「わたし…が。」

一つの小さな光が胸の中にポッと点いた様な感覚だった。ずっと胸の中に渦巻いていたもやもやとした感情が少しずつ晴れてくる。今まで、机上の空論に振り回されてしまって大事なものを見失っていたことに気付いた。

『どうなるかわからないんだったら、もうそこは考えなくてもいいと私は思う。さんが静雄を好きでいる事は悪い事じゃないし、あいつだって自分を想ってくれる人がいるって知ったら絶対に嬉しいと思うはずなんだ。』

は涙を拭ってセルティを見つめ、それにセルティもゆっくりと頷いた。



「私…謝らなくちゃ…。後悔したくないです…。大事な事を見失ってました。」

先ほどまでとは違ったすっきりとした表情を見て、セルティは安堵した。今まで自分の中に溜め込んでいたものが吐き出され、自身も自分の心の中が軽くなった様な気がした。何か問題が解決したわけではない。しかし、考え方一つでこんなにも変われるものなのだ。は静雄が帰ってきたら、今まで抱えていた事について話をしようと思った。

「明日から…また頑張れます。セルティさんのおかげです。」
『…良かった。さんは笑顔が一番だから。ああ、そうだ。これ、新羅に渡すように頼まれてたんだった。』
「…?」

セルティは薬が入っていたバッグとは別のものを取り出してに渡した。