19歳の頃から8年付き合っていた彼とは結婚するつもりだった。ついてきて欲しいという彼の転勤に合わせて2年前に地方へ引っ越して、二人で部屋を借りて住み始めた。新しい仕事を見つけて、二人で生活をして。それはもう、新婚のような楽しい日々だった。だけど「海外で自分の可能性を試したいから、結婚はできない。」そう言われた時に、私は既に27歳になっていた。じゃあどうして私を連れていったのだ。私は何のために仕事を辞め、何のためにここへ来たのだ。言いたい事は沢山あった。私が悪いわけではなく、彼自身の描く未来が普通とずれているのだとしか言われなかった。ただ、ただ、連れて行く事はできないと。何だったんだろう、私の8年間は。馬鹿みたいじゃないか。そう思った時にはもう、彼に掛ける言葉は何もなくなっていた。もう、この人に何を言っても無駄なのだ。もう、一緒にいても未来が見えない。何も見えないのだ。 そうして私は恋人と仕事をなくして、地元の埼玉へ戻ってきた。 失恋ガール 涙が枯れる程毎日泣いた。朝、目覚めた瞬間は何もかもを忘れていてすっきりしていた。それなのにすぐに現実を思い出して、ああ、私は彼と別れたのだと、また一日が始まってしまうとどこかに逃げ出したい気分になった。いっそ何も思い出さないまま眠り続けたいとすら思った。彼は家族のようなもので、喪失感ばかりが残った。これを未練というのだろうか。だけど、きちんと頭では彼との未来は絶対にないのだと理解していた。 なんとか毎日泣かずに済むくらいにはなり、今度は浮き沈みの激しい日々が続いた。とても調子が良くて、別に別れた事なんて大した事ない。また新しい恋人でも探せばいいじゃないかと思う日もあれば、もう一生私は誰とも幸せにはなれないのだと絶望感で動けなくなるような日もあった。そしてその日は後者だった。 「、ちょっとは飲みに行ったりしてさぁ、楽しもうよ!就活ばっかりしてないで、たまには息抜きしないとさ。合コンだよ、合コン!!8年ぶりでしょ?いい人いるかもしれないし。」 地元に帰ってきてから、私は応援して送り出してくれた友人たちに合わせる顔がなかった。皆が腫れ物に触るように恐る恐る私に接してきたけれど、この親友だけはいつも私を元気づけようと外に連れ出してくれた。仕事も一緒に探してくれたり、良い求人があればすぐに知らせてくれた。本当にいい子で、感謝してもし足りない。 「ってさ、どういう人がいいの?ずっと同じ彼だったからイマイチ好みとかわかんないんだけど。」 「借金なくて、ギャンブルしなくて、暴力振るわなければ誰でもいいよ…。」 「そんな遠い目して言わないでよ…これから合コン行くテンションじゃないよね。」 沈みがちな気分で少しなげやりになった答えだったが、本音も混じっていた。もうすぐ28歳になるわけだし、いつかは結婚もしたい。誠実ならばなんでもいい。本当にそれだけで十分じゃないかと思う。 しかし、合コンに誠実な人がいるかどうかなんて、参加してみないとわからないし、参加したとしてもわからない事でもあった。 普通の合コンにしては人数が多い、と席に付いてから思った。そして、やけに年齢層が若いということにもすぐに気がついた。親友の顔の広さは異常なので、一体誰を介しての合コンなのかわからない。社会人も学生も年上も年下もごちゃ混ぜになったような、統一感のない集まりだった。くじを引いて座った席は親友とは遠く、周りに知っている人は一切いなかった。しかもなぜか席順が男女で交互になっており、正面と隣が男性で端の席の私は話す人が限られていた。 「さんはいくつ?」 「27歳、です。」 「へー……じゃあ年上っすねー。俺24なんで。」 隣から話しかけてきた男性はそれまでは普通に話していたけれど、それっきり向かいと隣の席の彼より若い女の子としか話さなくなった。ああ、そうか。年を重ねるとこういう事になっていくのか、と浦島太郎になった気分で静かに分析をしてしまった。向かいに座った男性はそういったあからさまな態度はしなかったし少し話を振ってくれたりもしたけれど、結局私の隣の男性と一緒になって盛り上がっていた。 「ねぇねぇ、ろっちー私これ食べたい。」 「んー?じゃあ頼めばいいだろー?すんませーん。」 「ねね、ろっちー今度東京行くときケーキバイキング行きたいんだけどー。」 「ああっと、これとこれ1こずつ。ケーキバイキングって何、俺におごらせようとしてる?」 私は少し離れた所で盛り上がっている人達に気づいた。こちらでは若い女の子が人気だけれど、あちらではろっちーと呼ばれている男性が周りの女性から話し掛けられている。しかも器用な事に全員の話を拾って話している。自分と違ってモテるのは羨ましいけれど、なんだか大変そうな気もしてくる。帽子も被っているし横顔しか見えないが、なんとなく整った顔立ちだということがわかる。すると、ちょうどそのろっちーと呼ばれる人に近い席にいた親友と目が合って、手を振ってくれた。表情からすると心配している気がしたので、私は大丈夫だよという意味を込めて笑顔で返した。 ふと、店でかかっていた曲が終わり、新しい曲のイントロに気づいた。雑音が消えたようにその曲の音しか私の耳には入って来ない。この曲は彼が好きだった曲だ。そして私も好きでよく二人で聞いていた。今の今までずっと目の前の事を考えていて、忘れていた事実がまた私に襲いかかってきた。一緒に過ごした部屋や、遊びに行った場所が次々と浮かんでくる。8年分の思い出がどんどん溢れて、私は曲を聴きながらずっと思い出の螺旋に取り込まれていた。 「ちゃん。」 不意に名前を呼ばれてやっとそこから現実に戻ってきた。隣を見ると先ほどの男性ではなく、ろっちーと呼ばれるモテ男が座ってこちらを見ている。あれ?とその人がさっきまで座っていた席を見ると隣にいたはずの男性が座っていて席を交替した形になっていた。 「さっき名前聞いたんだ。」 親指で後ろを指さす先には私の親友が笑顔でこっちを向いていた。そして彼はニコっと笑って体ごとこちらを向いた。二十かそれより少し上くらいだろうか。自分よりも年下だろうという事だけは予想がついた。ちゃん付けで呼ばれるのは久しぶりで、慣れない感覚だ。改めて間近で見るとわかるが、これは女性がほうっておかないルックスだ。 「俺は六条千景ってーんだけど。ろっちーって呼んで…いや。」 「…?」 「ちゃんには千景って呼んで欲しいなぁ。」 その言葉と同時に周りの盛り上がりと、ざわついていた空気がしんとした。周りを見るが以前と変わらず会話をしているのは奥の方の席の人たちだけで、皆固まっている。何が起きたんだろうと、一番近くにいる人たちに話しかけた。 「あの…どうしたの?」 「いや、別に?なぁ?」 「う、うん。それでさぁー…。」 向かいの男性も、その隣の女の子も不自然に会話を戻してしゃべり始めた。隣を見ると彼は相変わらずの笑顔でこちらを見ていて、私はさっきの親友の心配そうな表情を思い出した。この席で浮いていたので、私の所に行ってきてと言われたのかな、と色々と納得した。 「千景くん…なんかごめんね。」 「何が?いいねー千景くんて。ちゃん、俺と付き合わない?」 会話の流れが急に変わって驚いた。付き合わない?ってなんだ。その辺まで一緒に…という状況ではない。千景くんの表情はニコニコと笑ったままであまり真剣味がなく、最近の子はこんなに軽いのかと少し呆れてしまった。 「冗談言ってないで…」 「もっかい言う?俺と付き合わない?っていうか付き合おう。」 「……ははは。千景くん、彼女いるんじゃないの?」 「いないよ。仲の良い子はいっぱいいるけど。」 にわかに信じられない言葉だった。こうして初めて会った人に声を掛けているとしたら、私も不特定多数の彼女、ないし彼女のような遊び相手のうちの候補なのだろうか。誠実であればなんでもいいと思った矢先にこれだ。私には寄り道している暇なんてないし、そういう相手になるのはごめんだ。 「つ、次に付き合う人とは結婚したいから。」 ああ、こんな合コンの席で重々しい事を言ってしまった。もちろん相手も引くだろうし、耳に入ったとしたら周りの人も引いてしまう。言葉にした後でもっと良い断り方があったかもしれないと思ったけれどしょうがない。千景くんは少し驚いた様で笑顔が消え、目を丸くしてから口を開いた。 「そっかー。」 「そうそう、飲も飲も。千景くん、はい、メニュー」 「じゃあ付き合えたらちゃんと結婚できるってこと?」 メニューを千景くんに渡す手が止まった。千景くんを見ると正面からまっすぐ私を見ていた。表情がさっきまでと全く違っていてどくりと心臓が鳴った。なんなんだろう、これは。ロクに会話もしていないというのに本気だとでも言うのだろうか。 「ちゃんさー。こうやってさりげなくメニュー周りの人に渡してたっしょ?」 千景くんは私が手にしていたメニューを受け取ってテーブルに置いた。軽い口調のままなのに、私の目を真っ直ぐ見ているのは変わらない。 「あと、残り一個になってだーれも手ぇつけない皿片付けて新しい料理の場所確保したり、席立った子がキョロキョロしてると声掛けてトイレの場所教えてあげたり。」 テーブルに肘を付いて千景くんは今までと違った微笑を見せた。 「こんないい子ほっとけるわけないじゃん。」 その言葉にまたどくりと心臓が鳴った。あんなに女の子たちと沢山話していたのに、私の方を見ている余裕があったのだろうか。そんな口説き方、反則だ。誠実かどうかなんてこれだけじゃ本当にわからない。わからない、けど。 気づくと私があれだけ気に留めていた曲がいつの間にか終わっていて、別の曲が流れていた。こうやって、昔の事を思い出せなくなるくらい、何かに夢中になりたいと思った。何かって、なんだろう。例えば、恋とか。 「ああ、あと。俺、借金もないし、ギャンブルもやらねぇし。暴力なんて振るわねーから。OK?」 「ろっちーがさー、のことばっかり聞いてくるからあれ?って思ってさ。ろっちーって女の子みーんな大好きだから。っていうかなんで千景くんって呼んでんの?え、そう言われたの?……そう、へぇー。そうかぁ。…さぁ、戻ってきて良かったんじゃない?」 |