08.密室の中の攻防


の出向が決まってから臨也の事務所へやって来るのは二度目だった。先週来た時ほどの緊張感はないものの、まだまだ慣れない。仕事をしている間、臨也は珍しく小説についての話をしてこなかった。どうやら今日は忙しいようでに構っている暇はないようだ。昼を過ぎた頃もそんな調子だったので、がこのまま何事もなく一日が終わって欲しい、と心から願っていると携帯にメールが届き、その内容に息を飲んだ。


『ダラーズのメンバーが切られた。情報求む―情報求む―情報求む―。』


ニュースをチェックしていても、ここ数日の被害者の数は異常だった。とうとう今夜がリッパーナイトと呼ばれる日になるのだとは瞬時に理解した。静雄に連絡を入れなければ。できる事なら直接会って話したいが、電話でもいいからただ一言、気をつけて、と伝えたかった。はそう思い携帯を手に立ち上がろうとした。が、その一瞬、背後に臨也が立っている事に気付き、心臓がドクリ、と嫌な音を立てて跳ねた。振り返ると臨也はとても楽しそうに目を細めていて、は言い様のない不安に襲われる。


さん、携帯いじってる暇があるならこれやっておいてくれない?」


が言葉を発する前にデスクの上にドサドサドサッと書類がうず高く積まれた。パソコンを開いているが、その高さをゆうに越えている。一体何の書類だろうかとは書類を手に取るが、途中でダラーズのメールは臨也にも届いていることに気付いた。臨也もおそらく今夜起こることを知っている。

「…なんの真似ですか?」
「仕事だよ、仕事。色んな書類が混じってるけど、全部データに落としてくれればいいよ。それが終わるまで、これは預かっておくからさ。」

そう言うと臨也はひょいと腕を上げた。その手には、がさきほどまで手にしていた携帯と、デスクに置いておいたはずの仕事用の携帯が二台とも握られている。ほんの一瞬目を離してしまったことを悔やむがそれどころではない。今日中に終わるはずのない量の仕事を押し付けられ、静雄が心配していたことが的中してしまっていた。

「…返して下さい!」
「まぁ、頑張ってよ。終わったら返してあげるからさ。」

のほうを振り返りながら自分の作業場所へと戻って行く臨也をただ黙って見ていることしかできなかった。臨也から腕づくで取り返すなど、そんな方法を考えても無駄だ。どうにかして仕事を終わらせる他ない。文字通り山になっている書類に目を通しながらは頭の中で最短で終わらせる方法を模索する。



―そんなに必死にやったって、夜はくるよ。

に押し付けた書類は先日波江がデータ化を済ませているもので、この作業自体は何の意味も持たない。臨也はを一瞥し、邪魔者は黙らせたと今夜の算段を確認し、祭りへと思いを馳せた。


「静雄、気持ちはわかるけどよ。」
「…はい。」
「回収できねぇとちゃんに示しがつかねぇべ。」
「…すいません。」

街を歩くトムは静雄を宥める様に話しかける。今日はが臨也の事務所に行く日で、事情を知ってしまった静雄はいつもよりもキレやすかった。元々導火線は短いほうなのだが、今日は火をつけた先が爆弾のような感覚だ。こんな日が毎週くるのかと思うとトムは臨也に恨みごとの一つでも言いたい気分になる。午前中は債務者を投げ飛ばしたり、再起不能にしてしまったりでまったく回収ができていない状況だ。その状況も全てひっくるめて、静雄は苛立っていた。

「休憩するか。な?」
「…うす。…?」

静雄は携帯を手にするとセルティからメールが来ていることに気がついた。

「トムさん、休憩中ちょっと人に会ってきてもいいっすか。」
「おぉ、気分転換してこいや。終わったら連絡頼むぜ。」

人に会ってくる、という表現自体が間違っているわけではないのだが、長年の友人であるセルティに会うために静雄は公園へと向かった。