07.頼れる人


は幽に社宅の前まで送ってもらい、部屋に入るとトムからメールが来ていることに気付いた。珍しいなと思いつつメールを開いた。


『ごめん、ちゃん。静雄に臨也の所に行く件バレちまった。一応、全部説明はしておいたし、殴り込みに行く事は防げた。ちゃんからも少し話してやってくんねぇかな。』


まさか一日目でバレてしまうとは思わず、静雄のあまりの勘の良さに驚いた。そして殴り込みを防いだという事実に、本当にトムが事情を知っていてくれて良かったと胸を撫で下ろす。しかし、静雄たちが上がるような時間帯にメールが来るということは、一日中目が離せない状況だったのかもしれない。それを想像して、はトムの気苦労をおもんばかった。返信しようとしていると、不意に玄関のチャイムが鳴り、直感で誰が来たのかがわかったので玄関に駆け寄った。

「はい…。」
「………。」
「す…すみませんでした!!」
「…なんでが謝るんだよ。」

静雄は玄関口でいきなり頭を下げたに驚いた。昨日は大丈夫だったのかと様子を聞きにきただけなのだが、は隠していた事実が申し訳ないのか頭を上げたあとも、まだすみませんと呟いている。

「どうぞ、玄関ではなんなので上がって下さい…。」
「…いや、ここでいい。」
「??寒いですよ?」
「一人暮らしの女の家に入るのはよくねぇだろ。」

静雄は今朝方トムに言われた事でを妙に意識してしまっていただけなのだが、は今まで何度も静雄を部屋に上げているので、なぜ今になって、と不思議に思う。

「…?静雄さんはもう何回も来ているので別に気にしないですよ。風邪引いちゃいますから、どうぞ。」

結局玄関口で話すとなると自動的にも寒々しい玄関にいなくてはならなくなるため、いつも通り静雄は部屋に入っていき、はお茶を出した。


「すみません、黙っていて…。」
「いや、トムさんから話は聞いたし、社員を脅えさせねぇようにそうしたんだろ?それよりもノミ蟲野郎に嫌がらせでもされてねぇかと思ってよ。」
「仕事のほうは全然問題ないですよ。」
「仕事のほう、は???他に何かあったのか?」

言葉尻をとらえ、じっと静雄はのことを見た。こういう時の静雄の鋭さにはきっと誰も敵わないのだろうなと思い、は青筋が出てこないかと内心ヒヤヒヤしながら話を続ける。

「小説のことを教えろっていうのが大半でした。答えない様にしましたが。」
「そうか…あの野郎いつも妙な事考えてやがるからな…つーか今度は何考えてやがる…クソッ。」


は拳を握りしめる静雄を見て、臨也の目的は一体何なのかと考えた。小説以外の部分の臨也の思惑はにはわからない。が小説の事を喋らないにしても、臨也が本気を出せば再度犯罪者へ仕立て上げる事くらいできるはずだ。しかしその選択肢を取らなかった。そうではなく、今、が所属している会社にいたまま臨也の事務所に出入りすることで、蛇の生殺しのように静雄が手を出せない状況を作り上げたかったのだろうか。それだけの為だとしたら何とも底意地が悪い。

「社長もどうにかして出向をやめられるように動いて下さるそうなので、それまでの辛抱です。大丈夫ですよ。」
「……わかった。が会社のことを考えてやってることだし、お前がそうしたいのを俺がどうこう言う話じゃねぇし。」

臨也への怒りよりも、の意志を尊重するほうが大事だと言い聞かせて静雄は心の中にある怒りを自分の内に留めさせ、に伝えたかったことを言う。


「とにかく、心配なんかすんのは当たり前なんだから、遠慮すんな。俺は暴れてばっかで頼りねぇかもしんねぇけど、お前は最初から一人で全部背負いすぎんだよ。」
「…はい。」
「…わかったか?」
「はい、ありがとうございます。」

は静雄の方を見て少し喉が詰まった。自分だって静雄のことが心配でしょうがないのだ。それはお互い様だったのかもしれない。そう思うと何も話さなかったことが悔やまれた。



「じゃ、俺帰るわ。」
「??さっきからどうしたんですか?なんかよそよそしいですけど…。」
「……別に。」

そこまで考えては過去のことを思い出した。以前、仲が良かった男友達に彼女ができたのだが、付き合い始めた途端彼女が嫉妬するからと疎遠になったのだ。自分の知る限り静雄は違うはずだと思っていたが、それが描かれていないだけだとしたら…とおそるおそる聞いてみる。

「あの…。」
「?」
「静雄さん…彼女できました?」
「…??そんな奴いるわけねぇだろ。」

思ってもいなかった質問に即答した静雄には安堵した。のその表情を見て、再び静雄が戸惑ってしまうのだが。の部屋を後にして、廊下の手すりに寄りかかると静雄は煙草に火を点けた。


「人の気も知らねぇで…。」

そう呟くと長く息を吐いた。




「目的なんてないさ。あえて言うなら、シズちゃんが一番苛立って、見境がなくなった瞬間に誰かに殺されてくれないかなって思うくらいかな。」

テレビを見ながら臨也はこともなげに波江に答えた。


「あの子が来るんだったら私は週に5日も来る必要はないでしょう。引き抜くならもっとちゃんと引き抜かないと、私が誠二と一緒にいられる時間が少なくなるじゃない。」

パソコンの画面を見ながら驚異的な速さでタイピングを続ける波江は臨也に抗議をし、睨むことも忘れていない。

「大体、あなたいつ休んでるのよ。」
「仕事は好きじゃないけどね、この仕事は俺の趣味の延長みたいなもんだから別に休みなんてなくてもいいんだよ。」
「悪趣味ね。」
「それより波江さん、そのデータまだできないの?もう二日もかかってるけど。」

自分はテレビを見ていながら、助手である波江にこの言い草だ。波江はあからさまに舌打ちをした。個人情報を始めとした雑多な書類の束にここ二日間、手を焼いていた。普段ならば帰宅している時間だが残業を余儀なくされている。

「五月蝿いわね。」
「急で悪いね、明日必要なんだよねぇ、それ。」
「じきに終わるわ。」

助かるよ、と臨也がいつもの意地の悪い笑みを見せたが、波江は耳を傾けるのみで手と目を動かしている。臨也は再びテレビを見ながら呟いた。


「増えてきたねぇ…被害者の数も相当だ。何人ぐらいになったかな?まぁそれは…あとで見ればいいかな。」


テレビの写すニュースには住民の不安を煽る様に、切り裂き魔の事件が流れていた。