04.卑怯者の目的 臨也の事務所のエントランスに入る所で、は立ち止っていた。 今朝、目が覚めた時に反射的に仕事に行きたくない、とは布団を被り直したほどだった。いつものように家を出て、階段を降りたところで体が自分の通っている会社のほうへ向いていることに気付いてからは立ち止った。今日はこちらではない、と。気持ちに無理やり逆らうように重い足取りで、逆の方向へと歩き出したのだ。 約束の出勤時間まであと数分だが、色々な感情が入り混じり緊張し、冷や汗が出てきた。どうして自分からここに来なければならないのか、という戸惑い、不安、恐怖。そして自分を奮い立たせ、安心させるように大丈夫だと何度も繰り返し、臨也の事務所へ入っていった。 「おはようございます。」 「やぁ、来たね。今日からよろしく頼むよ。なんだい?その格好。身元不明の頃に戻ったみたいだ。」 ソファに座っていた臨也は池袋に現れた頃のスーツを着ているの方へ視線を向け、ペラペラと喋り始めた。なるべく感情を出さないようには淡々と答える。 「他社へ向かうのにスーツのほうが良いかと。」 「他社ねぇ…他人行儀だなぁ、もっとリラックスしたら?堅苦しいのはスーツだけで勘弁してよ。今のさんとは話をしているだけで肩が凝りそうだ。」 意に介さないという様子で臨也は台所へと向かい、ティーカップを棚から出した。 「…結構です。もう仕事をふって下さい。」 「まぁまぁ、初日なんだしさ。あぁ…俺からもらうものには口をつけたくないのかな?」 臨也はクスクスと可笑しそうに笑って紅茶を入れる。いつまた薬を盛られるかわからないとは警戒心を緩めない。臨也があえて相手の嫌がる事をする男だとは理解していた。 「わかってるんだろう?仕事をして欲しいわけじゃないんだよ。」 「それならこの件はなかったことにして下さい。自社に戻りますので。」 「さんはそんなに自分の会社を潰したいの?」 脅しとしか考えられない発言にはぐっと押し黙った。今は自分の言動に会社の未来がかかっているのだ。そう思い、帰りたいという気持ちを心の奥底へと追いやって、促されるままソファに座った。臨也は紅茶をすするとの方を見て微笑みながら核心となる事を告げる。 「これから何が起こるのか、全部俺に教えてくれないかな。」 「全部なんて話しきれないです。」 「…シズちゃんは死ぬ?」 「死にません。」 「残念だなぁ。でも、さんの知っている通りにやらなければ殺せるかもしれないね。」 唐突な言葉には言葉を失った。この男は静雄を葬る為なら本当にどんな手でも使うのだ、と。淡々と人殺しについて語る臨也に血の気が引く。 「俺はね、何度でもシズちゃんを殺しにかかるよ。それだって知ってるんだろう?それでも死なないにしたって致命傷くらいは負わせられるかな。」 「…そんなこと、ないです。」 「少し答えに詰まったね。嘘なんか吐いても意味ないから。君はそんなシズちゃんのことも傍観していられるのかな?」 その言葉は臨也に言われなくとも、もうずっと前から考えていたことだった。人の生き死に、致命傷や被害に遭う人々のことを。それを無視していいのだろうかと。どうしたらいいのかわからないまま時間だけが過ぎて行き、いつ何が起こるのかを注視することくらいしかできないのだ。物語を追うようにして被害を食い止めるという考えもあった。しかし、諸悪の根源のほとんどは臨也であり、自分が妙な動きを見せれば返り討ちにあってしまうのではとも思った。既に目をつけられて自分の居場所すら危うい状況におかれているのに、そんな大それたことまではできなかったし、自分は他の登場人物とは違っていたって普通の一般人だという自覚も痛いほどしていた。 それでも、静雄にこれから起こることは危険な事が多すぎた。直近で起こる事といえば罪歌の子たちに狙われて切りつけられたり、法螺田に銃で撃たれたりする事なのだ。その時、自分がどうすべきなのかはずっと考えていた。物語の通りにいけば静雄は自分自身の力を制御できるようになる。だから何もしなければいい。危険な目に遭っても死にはしない。そんな単純な論理だが、自分の大切な人が危険にさらされるとわかっていながら、平気でいられるほど無神経ではない。考え込んでいるを見ながら臨也は満足していた。 ――これだから人間は面白い。 彼女でしか体験できない状況や感情が、どう揺れ動くかを見たかったのだ。静雄を殺す方法など、に聞かなくとも何百通りと考えているし、これから起こる事全てをに聞くのは面白くない。揺さぶりをかけ続けがどんな方向へ転んでいくのかが一番楽しみだった。 「さん、気付いてる?」 「何がですか?」 「切り裂き魔の被害者はもう出たよ?」 「!!」 の喉の奥がヒュッと鳴って、予想外の言葉に手に汗が滲む。だいぶ前にね、と臨也が呟いて笑っている。自分がもたもたしている間にも物語はどんどん進んでいっているのだ。だとしたらあの事件がもうすぐ起こるのだ。一体いつ静雄がその場に行くことになるのだろうか、と悪い意味で鼓動が速くなる。 「やっぱり首なしライダーの話?小説って。」 「…知りません。」 「首の在りかは生涯誰にも言えないんだっけ?さんは。」 「!?……新羅さんから聞いたんですか。」 「律儀だねぇ、そんな約束を守るなんて。いいのかい?セルティは友達なのに、ここに首があるって言ってやらなくて。」 がこの世界へ来て、異世界人だと証明するために新羅に首の在りかを答えたのだ。そして住居や資金の提供をする代わりに、生涯首の在りかについて他言しないことを新羅と約束した。物語の中の通り、新羅のセルティに対する愛は揺るぎなかった。ただ、そのセルティに世話になっていたのも事実で、友人が悩んでいることとの狭間では罪悪感を持っていた。 どうしてこんなにも臨也と話をしていると気分が悪くなってくるのだろう。自分のしていることが全て間違っているのではないかと疑念が沸いてくる。二人がずっと沈黙していると、不意にそれを破る人物が現れた。 「あれっ?さんだーーー!!!なんでなんで?なんでイザ兄の所にさんがいるの?」 「…… 突然玄関のほうから現れた臨也の妹たちに驚いたのはだけではなく、臨也もこんな時にと柄にもなく不機嫌をあらわにした表情で話し始める。 「…お前ら学校はどうした。」 「創立記念日だよーー!イザ兄どうしてるかなーって思ってさ!っていうかさんは静雄さんの会社で働いてるんじゃなかったっけ?」 「…… 「転職じゃなくて、折原さんのところに…出張?みたいな感じで来る事になって。週に1回なんだけど。」 「ふぅーん…それって静雄さん許してくれたの?なんかめっちゃくちゃ怒りそうじゃない??」 「…… 「えっ…と…静雄さんには黙っていてくれないかな…?」 そうして説明している間に臨也はソファを離れ、自分自身の定位置に座りパソコンを立ち上げた。舞流と久瑠璃は適当に遊んだら帰るから気にしないで、と言って臨也が座っていたソファに腰掛けた。何をすればいいのかと思い、は座っている臨也に近寄って話しかけた。 「折原さん。」 「……折原さんってどの折原さんだい?ここには折原が3人いるんだけど。」 カタカタとパソコンのキーボードを打ち続ける臨也は画面から目を離さずに冷ややかに答えを返す。 「…お兄さんのほうの折原さんですけど。」 「君にお兄さんと呼ばれる趣味はないね。」 「………臨也さん。」 「なに?」 名前で呼んだ所でようやく臨也はパソコンから目を離して手を止めた。 「イザ兄素直じゃないねー。」 「…… 会話が丸聞こえだった二人の妹達は自分の兄のことをひそひそと話す。なんて面倒なんだと仕事を聞きにきただけなのに、とはげんなりとした。こういった嫌がらせと、先ほどのような尋問を毎週受けにやってこなければならないのだろうか。そう思うとこれから先が思いやられた。 |