10.自分を思う人


地面に手をついてからの心臓はドクドクと大きな音を立てていた。転んでしまったことに対してではない。無意識にヒールの挟まった足元へ目を向けて、荒い息遣いのまま辺りを見渡す。今までと変わっていないかどうか。変わったように見えなかったとしても、元の世界に戻っているかもしれない。また自分と繋がりのない世界へ飛ばされてしまったのかもしれない。そう思うと息が浅くなってきて、汗が頬を伝いの影にぽたりと落ちた。そんな不安に駆られていると少し辺りが暗くなり、視線を向けると自分に手を伸ばしてくれている存在に気付いた。



「セルティ…さん…。」

バイクに乗ったまま手を伸ばすセルティは話すことができないため、手をもう一度のほうへ寄せた。まるで大丈夫か?言っているかのように見えた。が手を取って立ち上がると引っかかっていたヒールはすぐに抜け、セルティは自由になった手でPDAを打つ。

『ケガでもしたのか?びっくりしたよ、さんがこんなところでしゃがみこんでるから』

セルティがいつものように自分に話しかけてきたので、は周りの状況が全く変わっていないことに気づいて安堵した。きっとどんな世界にもセルティのような存在はいない。

「大丈夫です。ちょっと転んでびっくりしてしまって…ありがとうございます。」

やっと探していた人に会えたとは気持ちを切り替えた。こんな時に現れるなんて、本当に救世主だ。

「セルティさん、知ってたら教えて下さい。今、静雄さんがどこにいるのか…!」
『静雄なら、今さっき会ってきたところだ。一つ先の公園で』

の必死な様子にどうかしたのかと尋ねたいところではあったが、セルティは手短に答える。

「ありがとうございます。ごめんなさい、急いでいて。私、行ってきますね!」
『さっき別れたばかりだからまだいると思うよ。乗せていこうか?』
「いえ、近くなので大丈夫です。セルティさんも急いでますよね?気をつけて。」

そう答えながらはセルティの指差したほうへと走り出していた。の発言に違和感があり、セルティは思う。



――私、臨也のところに行くって、言って…ないよな?




走り続けて公園の中へ入ると目的の人物がすぐに目に入って駆け寄った。

「静雄さん!!」
「殺す殺す殺す…あ?…?じゃねぇか。」

心底ホッとした表情をし、肩で息をしているに静雄は驚いた。臨也の事務所にいる日だったと考えると怒りが沸くが、仕事が終わるにしては少し早い時間であることと、普段の様子と違うに真剣な表情で問う。

「何かあったのか?」
「あの、静雄さんにっ…メールをっ。」
「メール??…あー…わりぃな全然気づかなくてよ。」
「はぁ…いえ、いいんです。もう、会えたので…。」

ようやく息が整ってきたは静雄に笑いかけた。そして何だろうかと用件を促す静雄には話をし出した。

「あの…今日、その…これから、気をつけて下さい…。」
「……?おぉ…用ってそれか?」
「そうです…それだけです…。」

はよくよく考えるとそんな事を言うためだけに血相を変えてやってくるのは明らかにおかしいと気付いた。もう、いっそこれから起こることを言ってしまったほうがいいのかもしれない。しかし、どんな順を追って話せばいいのだろう、と考えあぐねる。静雄は必死な様子のを見て口を開いた。



「…いいよ、言わなくて。」
「え…?」
「お前はよ、知らなくてもいいことまで知ってるんだろ。それを今、伝えようとしてるように見えるが…。」

静雄の言っている事が図星では何も言葉を発せなかった。自分の沈黙が何よりも雄弁に語っているのだ。


「いつも、知っててもひけらかすこともしねぇし、無駄に喋ることもしねぇ。俺はそれでいいと思うぜ。」


を安心させるためなのか、静雄は大した問題ではないという風に言葉を発する。はずっと自分が思い悩んできたことを言い当てられ、そしてそれを肯定されたことを意外に思っていた。

「これから俺がヤバいことになるってわかってるからここに来たんだろ?」
「……はい。」
「死なねぇんだろ?俺。」
「…はい。」
「なら、こうしてここに来てくれただけで十分だ。他の人間に比べたら丈夫にできてんだから、心配すんな。」

そう言って静雄はに笑った。は今まで、知っている未来を伝えない自分を卑怯で臆病だと思っていた。そして、そんな自分が嫌だった。しかし、こうしてそのままでいいと言われた事で、今までずっと胸の奥にずしりとのしかかっていたものが軽くなったような気がした。
少しホッとしたように表情を緩めたを見ると、静雄は何か今まで感じた事のない感情が沸き上がってきていることに気付いた。何もかもを諦めて冷めきっていた心が少しずつ体温を取り戻していくようだった。自分を心配してきてくれる人がいる、という事が静雄にとって何よりも嬉しかったのだ。







そしてその夜――。静雄は自分で生まれて初めて全力を出した。意識して全力を出し、加減をする。どんなに沢山の傷を負っても、恐怖も痛みもなかった。全くといっていいほど感じなかったのだ。生まれて初めて愛をささやかれ、ずっと嫌悪し続けてきた力を愛するものがいることを知った。その力の限り、切り裂き魔の集団を殴り、蹴り、投げ飛ばし――最後の一人を倒した後に浮かんだ顔は、自分を心配して駆け付けた人だった。