01.晴れの日 朝、隣の部屋からカーテンが引かれる音や、窓を開ける音が聞こえると、静雄はあと一時間で自分も起きなければ、と寝ぼけまなこに思うのだった。そして再び浅い眠りに落ちる。休みの日であっても、それが日常になっていたので、心おきなく二度寝をするだけだ。だが、に手当てをしてもらった翌日の静雄はその音で完全に目が覚めてしまっていた。朝食を食べても出勤時間までの時間がたっぷり余っている。特にすることもないので、ベランダに出て煙草でも吸おうかと窓を開けると隣のベランダには、白いシーツがはためいているのが見えた。ここで吸おうものなら風向きによっては匂いがついてしまう、と思い静雄は玄関から外に出た。 目が覚めたり、煙草が思う様に吸えなかったり、一般的に考えれば苛つくような事なのかもしれないが、静雄の頭の中はすっきりとしていた。昨日までのもやもやした感情がなくなっていたし、またいつものに戻るのだと思うとホッとしていた。廊下の手すりに寄りかかっていると春らしい晴天で、太陽が気持ち良い。シーツを干したくなる気持ちもわかった。 ガチャン。 と静雄の背中の方から音がしたので振り返ると、まだ出勤していなかったらしいがドアを開けて出てきた。 「あっ…静雄さん、おはようございます。早いんですね。」 「…………おはよ。」 幾分反応の遅い静雄には一瞬首を傾けかけたが、はっと気付いた。なぜならはいつもの安物のパンツスーツではなく、私服を身に纏っていたからだ。白のブラウスにジャケットをはおり、春らしい軽い素材のスカートにパンプス、といったとてもシンプルな格好だったが、身に付けている物の全ての調和が取れていて、販売員だったことが伺い知れるような格好だった。今までのスーツ姿とは違ってこちらのほうがしっくりときている。煙草を片手に振り返ったまま動かない静雄を見ては焦りに焦った。 「あ、あの、なんか変ですかね。いきなり私服で出勤とか…。」 「…私服の奴のが多いからいいんじゃねぇの?」 「そうですかね…。」 「まぁ、なんで今日から?とは思うかもしれねぇけど。」 「それは…私が販売員だったので、実家に帰ったら沢山服がありまして…この前帰ったときにこっちに荷物を送ってたんです。届いてたんですけど、調子も悪くしてしまったので、昨日少しだけ整理しました。」 そうが言うと静雄も納得して、吸っていた煙草を携帯灰皿に入れた。は元々好きなブランドで入社したということもあり、好きな物を着ているせいか表情も活き活きとしている。 「なんで外に……あ!すみません、もしかしてシーツですか?」 「気にすんなよ。それより時間大丈夫か?」 「大丈夫です。ちょっと余裕もって出てるので。」 相変わらず仕事に対して真面目だな、と静雄は時計を見ているを見た。とても似合っているが、静雄は口に出すタイミングを失ってしまっているし、いつもと雰囲気が違っていてなぜか緊張してしまう。 「それじゃ、私行きますね。また後で。」 「おぉ。」 軽く会釈をするとは階段を降りていった。あのまま職場に行くのか、と思うと似合っているのに若干面白くない様な、心配してしまうような複雑な心境になっていた。そしてその複雑な心境は職場に行ってから明らかな形として表れることになる。
「おはようございまーす!!佐竹っていいまーす!」 が出勤すると早々に出入り口付近の席にいる男性が立ち上がり、声を掛けられた。黒岩よりも更に若い男性で、細身で暗めの茶髪でどこにでもいるような外見だ。全面的に軽い雰囲気が出ているが、黒岩が見舞のときに話していた新しい社員なのだろう。 「どうも初めまして。です。」 「なんか体調悪かったんすよねー大丈夫っすか?俺、昨日入社したばっかりでわかんないことばっかなんすけど、よろしくお願いしますー。」 「こちらこそよろしくお願いします。」 挨拶を済ませると、は休み中にたまっていた机の上の仕事を見て席についた。佐竹はまだ話し足りないようで言葉を続ける。 「俺、専門卒なんすけど就活失敗しちゃってー、でも4月に入ってからここの求人見つけてラッキーって思って受けたら受かってギリギリセーフでした。しかも!ここって平和島静雄も働いてるって…マジですか?」 おそらく苗野が辞めたので、穴が開いてしまった人の分を採用したのだろう。興味と恐怖が半々という表情で佐竹はを伺っている。机の上の書類を簡単に仕分けしながら、は佐竹の方を見て事実を述べる。 「静雄さんもいますよ。」 「…う、うわーマジで…知らなかったっす…いや、俺、街中で誰か追い掛けてんの見たことあるんすけど…鬼の形相、つうかホント怖くて…普通に仕事してんすね…」 佐竹はその時の事を思い出しているのか、少し引きつりながら話している。誰か、というのはおそらく臨也のことを指しており、それは鬼の形相になるのも無理はないとは苦笑いをした。昨日は、静雄、トムが休みだったため、佐竹はまだ面識がないのだろう。 「大丈夫。静雄さん、いい人ですから。」 「初めてっすよ、平和島静雄のこといい人って言う人。」 「うーん、結構いると思うけどなぁ…。」 が静雄の事を話すときに少し微笑んでいて、その表情に佐竹は魅入ってしまった。年下の後輩というのが初めてできたのでは佐竹とは幾分くだけた言葉づかいで話している。佐竹は少し黒岩と似ている所があって話し方こそ敬語もままならないが、話す内容は他の社員とも変わりがない。 ――仲良くやっていけるといいな。 は苗野の事を思い出すと少し心が痛んだが、これからの事を考えた。
や佐竹のいる事務の机は向かい合わせで事務室の出入り口から窓まで続いている。末席が新人、窓際がチーフの席だ。は新人にも関わらず、穴埋めとして苗野が座っていた席と自分の席を往復していて窓際いることも多い。そして通路を挟んだ隣にも経理の机が並んでおり、そこには黒岩が座っていて、佐竹と背中合わせの様になっている。昼時になったので休憩に出る者も出てきており、その隙を見て話好きの佐竹は背中越しに黒岩に話し掛けた。 「黒岩さん、あのーさんて彼氏いるんすかね?」 「はぁ?何、あんたそんなことより早く仕事覚えなってー。」 「俺、ああいう人タイプなんすよ、ちょっと清楚できれい…だし、かわいいともいえる…みたいな!」 「……あんた、死ぬ覚悟はできてんでしょうねー?」 「えっ?」 黒岩が視線を送る先には静雄が立っていた。佐竹は静雄がいたことに気付いていなかったようで、自分のデスクの横を通り過ぎた時に本物だ、と身を固くした。そして自分の前を通り過ぎた静雄を見た瞬間、ギロリと殺気立った目で睨まれた。目が合っただけで殺される、と瞬時に悟った彼は肩をびくりとこわばらせ、恐怖に震え上がる。なぜこんなに睨まれているのだろう…と佐竹は思いながら目を合わせないように静雄を気にしていると、そのまま前を通り過ぎ、の席も通り過ぎて行った。そして、窓際にもたれると腕を組んだ。は仕事に集中していて書類を凝視しており全く気付いていない。その間も静雄は佐竹に対して睨みをきかせ続けていて、佐竹は生きた心地がしない。今朝、が話していた「平和島静雄はいい人だ」という言葉は聞き間違いだったのではと思い直していた。は仕事が一区切りついたようで、顔を上げるとそのタイミングで静雄は声を掛けた。 「。」 「はい?あ、静雄さん、戻ってたんですね。」 「あぁ、休憩室、席が埋まっててよ。」 「珍しいですね。」 「ああ、トムさんがそこのマックに先に行ってる。来るか?」 「行きます!ちょっと待って下さいね。」 は素早く支度を整えると席を立った。 「休憩行ってきますね。」 事務の面々に声を掛けると、いってらっしゃーいと、そこにいる社員が声をそろえて言った。言葉を発していなかったのは佐竹だけで、静雄とは外へと出て行った。そしていつも通りに仕事をする社員たちの中で佐竹だけの時間が止まっており、少ししてからせきを切った様に話し始めた。 「く、黒岩さん、どういう事っすかあれ!?」 「あんたまだ言ってんのー?」 「ていうかなんで名前呼びなんすか!?」 「ご愁傷様ー。」 「えっ…。」 「出勤二日目にして平和島さんにあそこまで敵視されるとか、あんたすごいわ。」 「敵!?俺、ケンカなんか売ってないっすよ!?」 「さっきの会話聞かれてるだけで十分だからー。」 記憶を呼びよせて先ほどの会話を思い出す。その会話が地雷となっているならばあの二人は…と佐竹はショックを受けかけたが、よくよく考えればが穏やかに話していたのも静雄のことを話したときだった。一日もしないうちに玉砕してしまったとのかと肩を落とす。 「っていうか平和島さんに挨拶した?」 「え…あぁっ!!」 佐竹は自分の社会人生活は早くも危ぶまれるものだと思うと時間を巻き戻したい気持ちになった。 |